2013年3月31日日曜日
観世音菩薩は仏教としては異例のもの
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:2頁
《観世音菩薩は仏教としては異例のもの》
「観世音菩薩は仏教としては異例のもの」
『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』は妙法蓮華経中の第二十五番目の一章で、
観世音菩薩を中心に説く経典としては、
最も古いものとされているものである。
この巻では観音は一個の独立した菩薩として説かれているもので、
観音の名称の由来とその救済される苦難の具体的内容が詳細にしるされているが、
観音の来歴や像容の記載は認められない。
しかし、かくの如き自在の神力をもつ観世音菩薩を仏教的菩薩として説くことは
仏教としては異例に属するものといわなければならない。
前記、
鳩摩羅汁訳(クマーラ・ジヴァ)の妙法蓮華経は
西紀四百年の初め頃に漢訳されたもので、
それ以外にも西紀二百年代のなかごろ及び後半の間に
すでに四回も漢訳されていて、
その中にも「光世音(観世音の異名)普門品」の筆名で
独立したものとして説かれているものもある。
従って、
観音の性格が独立したものとして認められたのは
遅くとも三世紀頃までは遡り得る。
その間のことを訳経史によってみれば次のようなものがある。
250年頃 仏以三車喚経 一巻 呉 支謙訳
255年 法華三昧経 六巻 畿良接訳
265年 正法華経 六巻 西晋 竺法護訳
335年 方等法華経 五巻 支道根訳
このほかにも中に観音の名がある経典はあるが
何れも三世紀後半のものである。」
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2013年3月30日土曜日
菩薩は紀元前後から作られ始めた
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:1頁
《菩薩は紀元前後から作られ始めた》
「菩薩は紀元前後から作られ始めた」
観世音菩薩という名の仏は、
釋迦の教えた仮説を後世の漢訳者が擬人化して、
卑弥呼の別名を宛てたために生まれたことが、
大学講義録20と21でほぼおわかり戴けたことと思う。
この卑弥呼との関係に気づいた人はいなかったが、
全ての菩薩や如来などが、
仏教の発展につれて次々に作り出されたものであることは、
多くの研究者の一致した結論である。
その代表的なものは、前出の佐和隆研氏で、
『密教美術論』(便利堂刊・1955年=昭和30年)の
「三 観世音菩薩像の研究」の中p.140~)で、要約すると次のように言っている。
「西紀前後頃から以後、仏教はその教理の展開につれて多くの如来、
菩薩、明王、天などを作り出して来た。
その重要な諸尊のうちの何れか一つをとりあげてみても、
その説かれている経典は多種類にわたっていて、
それがいかなる過程をへて成立し、
発展して来たものかということについての
詳細な研究の困難さを感じさせるほどである。
観音もその成立の最初については、
あるいは仏弟子の阿難(アナンダ)を神格化したものであるともいわれているが、
その間の事情については充分に明かにされてはいない。
(大正大学々報第六・七号、加藤精神「文殊 普賢 観音 弥勒 の研究」)。
しかし、その成立後の展開は他の諸菩薩と比較できないほどに多彩で、
その名や功徳を説く経典は著しく多い。
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2013年3月29日金曜日
『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈』(ひらがな)
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:34頁
《『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈』(ひらがな)》
「『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈』(ひらがな)」
(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんげ)
一 せそんみょうそうぐ がこんじゅうもんぴ
ぶっしがいんねん みょういかんぜおん
二 ぐそくみょうそうもん げとうむじんに
にょちょうかんのんぎょう ぜんのうしょほうじょ
三 ぐぜいじんにょかい りゃくこうふしぎ
じたせんのくぷつ ほつだしょうじょうがん
四 がいにょりゃくせつ もんみょうぎゅうけんしん
しんねんふくうか のうめつしょうく
五 けしこうがいい すいらくだいかきょう
ねんぴかんのんりき かきょうへんじょうち
六 わくひょうりゅうこかい りゅうぎょしょきなん
ねんぴかんのんりき はろうふのうもつ
七 わくざいしゅみぶ いにんしょすいだ
ねんぴかんのんりき にょにちこくうじゅう
八 わくひあくにんちく だらくこんごうせん
ねんぴかんのんりき ふのうそんいちもう
九 わくちおんぞくにょう かくしゅうとうかかがい
ねんぴかんのんりき げんそくきじしん
十 わくそうおうなんく りんぎょうよくじゅしゅう
ねんぴかんのんりき とうじんだんだんえ
十一 わくしゅうきんかさ しゅそくひちゅうかい
ねんぴかんのんりき しゃくねんとくげだつ
十二 しゅそしょどくやく しょよくがいしんしゃ
ねんぴかんのんりき げんじゃくおほんにん
十三 わくぐうあくらせつ どくりゅうしょきとう
ねんぴかんのんりき じしつぶかんがい
十四 じゃくあくじゅういにょう りげそうかふ
ねんぴかんのんりき しっそうむへんぽう
十五 げんじゃぎゅうぶっかつ けどくえんかねん
ねんぴかんのんりき じんじょうじえこ
十六 うんらいぐせうでん ごうばくじゅだいう
ねんぴかんのんりき おうじとくしょうさん
十七 しゅじょうひこんやく むりょうくひっしん
かんのんみょうちりき のうくせけんく
十八 ぐそくじんづうりき こうしゅううちほうべん
じっぽうしょこくど むせつふげんしん
十九 しゅじゅしょあくしゅ ぢごくきちくしょう
しょうろうびょうしく いぜんしつりょうめつ
二十 しんかんしょうじょうかん こうだいちえかん
ひかんぎゅうじかん じょうかんじょうせんごう
二十一 むくしょうじょうこう えにちはしょあん
のうふくさいふうか ふみょうしょうせけん
二十二 ひたいかいらいしん じいみょうだいうん
じゅかんろほうう めつじょぼんのうえん
二十三 じょうしょうきょうかんしょ ふいぐんじんちゅう
ねんぴかんのんりき しゅおんしつたいさん
二十四 みょうおんkんぜどん ぼんのんかいちょうおん
しょうひせけんのん ぜこしゅじょうねん
二十五 ねんねんもちしょうぎ かんぜおんじょうしょう
おくのうしやく のういさえこ
二十六 ぐいっさいくどく じげんじしゅじょう
ふくじゅかいむりょう ぜこおうちょうらい
「けっく」
にじじぢぼさつ。 そくじゅうざき。ぜんびゃくぶつごん。 せそん。
にゃくしゅじょう もんぜかんぜおんぼさつぼん。 じざいしごう。
ふもんじげん。 じんつうりきしゃ。 といちぜにん。くどくふしょう。
ぶっせつぜふもんぼんじ。 しゅちゅうはとまんしせんしゅじょう。
かいはつむとうどう。 あのくたらさんみゃくさんぼだいしん。
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2013年3月28日木曜日
『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈』漢語
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:33頁
《『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈』漢語》
「『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈』漢語」
『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈(ふもんぼんげ)』漢語
一 世尊妙相具 我今重問被 佛子何因縁 名為観世音
二 具足妙相尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善應諸方所
三 弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願
四 我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
五 假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑變成池
六 或漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
七 或在須彌峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住
八 或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
九 或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
十 或遭王難苦 臨刑欲壽終 念彼観音力 刀尋段段壊
十一 或囚禁枷鎖 手足被紐械 念彼観音力 釋然得解脱
十二 呪詛諸毒薬 諸欲害身者 念彼観音力 還著於本人
十三 或遇悪羅刹 毒竜諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
十四 若悪獣囲繞 乳阜鹿丸煉 念彼観音カ 疾走無邉方
十五 蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自廻去
十六 雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 應時得消散
十七 衆生彼困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
十八 具足神通力 廣修智方便 十方諸国土 無刹不現身
十九 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
二十 真観清浄観 廣大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻行
二十一 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
二十二 悲體戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩惱燄
二十三 諍訟經官處 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
二十四 妙音観世音 梵音海潮音 勝被世間音 是故須常念
二十五 念念勿生疑 観世音浄聖 於苦惱死厄 能為作依怙
二十六 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮
「結偈」
爾時持地菩薩。 即従座起。 前白佛言。 世尊。
若有衆生 聞是観世音菩薩品。 自在之業。
普門示現。 神通力者。 當知是人。 功徳不少。
佛説是普門品時。 衆中八万四千衆生。
皆発無等等。 阿耨多羅三藐三菩提心。
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『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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2013年3月27日水曜日
広東の古代稲作遺跡は卑弥呼の観世音遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:32頁
《広東の古代稲作遺跡は卑弥呼の観世音遺跡》
「広東の古代稲作遺跡は卑弥呼の観世音遺跡」
『魏書倭人章』を読めば対馬・一大の人々は
南北へ「市糴(してき)=米を買いに」行くとはっきり書いてある。
国境などなく、
稲作に必要な石器などもどんどん物々交換されていた時代なのである。
それは便利に使えさえすればいいのであって、幾らでも誰の手にもはいる。
そんな大陸系石器をもっているから持ち主は中国人だと決めつける、
時代遅れの発掘考音学者が、
真実を求める日本国民と世界の史学の敵であり、
日本人の恥であることはいうまでもない。
熱帯ヤボニカ水稲が、絶対に北から南に入ることがないのは、
稲の品種改良が進んだ現代でもなお北鮮が、
慢性的な飢饉に悩み続けている事実で、
簡単に理解できることである。
弥生稲が中国から来たか、その逆かには動かぬ証拠がある。
古代稲作遺跡のない中国南部でただ一か所、」
広東にある遺跡の「仏山」がそれで、
その名が仏教遺跡だと裏書している。
南中国は水稲の適地だから、もっと多くの遺跡があるはずなのにそれがない。
しかも古代稲作遺跡が大量にある中部から、はるかに飛んで南海に面しているので、
対岸の沖縄から海を越えてやって来た仏教徒が作った遺跡だとすぐわかる。
時代は弥生後期、
ちょうど卑弥呼の観音信仰が
中国南岸に普陀落迦山(フダラッカサン)を作って
観世音(カシイ)の名を伝えたころである。
中国で仏を指す
「浮屠(フォト)・沸(フォツ)」は
パーリ語の Buddba(ブッダ) ではなく、
日本語の「ホトケ」への当で字だったのだ。
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2013年3月26日火曜日
4種類以上の稲が拓(ひら)いた古代日本の稲作文化
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『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:31頁
《4種類以上の稲が拓(ひら)いた古代日本の稲作文化》
「4種類以上の稲が拓(ひら)いた古代日本の稲作文化」
これで日本列島には
「3000年以上昔に、中国の殷帝国のものと共通の、イネと呼ぶ陸稲があった。
縄文遺跡から出る超古代米はこれである」ことがわかった。
次いで時期は不明だが
「クメール人移住者が小粒の米の取れる水稲をもって来て、
久米島を本拠にして定住し、その後、コメが沖縄から本土まで広まった」。
「縄文晩期にはソナカとウッタラが率いる仏教宣布団が渡来、
ソナカは南九州から熱帯ヤポニカ栽培を広め、
ウッタラは本州を東進して寒さに強い水稲を弥生前期に弘前まで広めた」
こともわかった。
それはざっと大別しても4種類の稲が、
約1000年の間に日本列島に運ばれて来て、
いずれも立派に栽培にされたことが明瞭にわかる。
その種類も殷~稲敷の米は寒地型陸稲。
久米島の米は小粒の、南九州の米は大粒の、いずれも熱帯ヤポニカ水稲で、
弘前の弥生前期水田のものは、
マガダ以北産の寒さに強い温帯ヤポニカ水稲だったとわかる。
「縄文晩期の北部九州の稲作遺跡は日本で最初の稲作文化だ」
という在来の説は、
実に恥ずかしく情けない虚説を発表したものである。
我が国の「稲作文化」は、
3000年以上昔の殷代以前から立派にあったのであり、
北部九州のそれは、はるか後世に南九州に渡来した稲の、
そのまた移動後のものの一部に過ぎず、
中国から朝鮮経由で来たのでもない。
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2013年3月25日月曜日
南九州語の「大・小」は稲作の運び手の名
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:30頁
《南九州語の「大・小」は稲作の運び手の名》
「南九州語の「大・小」は稲作の運び手の名」
これで弥生前期に弘前まで誰が水稲稲作を広めたか、充分よくわかったが、
今度は、熱帯水稲はインドからだけ入ったのではないことと、
その稲の種類についてお話ししよう。
私たち本土人は食べる部分の稲の種子=「米」をコメと発音するが、
沖縄の人は「クミ」と発音する。
そして沖縄にある久米島も「クミ」島と呼ぶ。
その久米を本土人は「クメ」と読むが、
東南アジアにはクメールという人々が、
古来強力な種族を形成していて、もちろん稲作人種である。
言語の共通性も久米の名も、米をわざわざ「クミ」と呼ぶことも、
全てが沖縄への稲作の運び手の中に、クメール人がいたことを物語っている。
だがここではどこから来たかが問題なのではない。
南九州語では
「コメ」というのは「小さい」という意味である。
これの対象語「大きい」は「フトカ」という。
「コメ」はクメールから来た稲で小粒であり、
そのほかに「大粒の米」があったことになる。
その米は誰がもって来たのか?。
答はその名にある。
「フトカ」は漢字で書くと
「浮屠家」で仏教人をいい、ホトケの語源でもある。
南九州語の「大・小=フトカ・コメ」は、
古代からあった形容詞ではなくて、
稲作が各地から入って来て、
その米粒の大小から新たに生まれた日本語だったのである。
これもまた仏教徒が稲作をもって来た動かない証拠であり文化財なのだ。
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水稲稲作と仏足石(ぶっそくせき)が生んだ民話
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:29頁
《水稲稲作と仏足石(ぶっそくせき)が生んだ民話》
「水稲稲作と仏足石(ぶっそくせき)が生んだ民話」
これでもまだ「大太良法師」が仏教と無関係だと思う人は、
彼の話のヤマが「巨人の足跡」だという事実を考えて見て戴きたい。
古代人は裸足で歩くのは当然で、足跡になんか関心を持っはずがない。
それなのに特別に足跡の話をあちらこちらに残したのは、
それまで考えもしなかった足跡というものが、
突然、彼等の話題になるような事態を体験したからである。
それは稲を植えるためには、過去には避けて通った泥濘(ぬかるみ)に、
足を入れるという不快な行為が強制される。
そのときイヤでも順に足跡がつき、その足で歩いた道にも足型がつく。
もう一つは「仏足石(ぶっそくせき)」が当時は釋迦の象徴だったことである。
中期の仏教は繹迦像を作ることを避けて、
仏の足型と称するものを聖体として礼拝させていた。
水稲稲作という不慣れな農業で足型に関心をもった人々に、
その仏足の話は効果的に「巨人・釈尊」の偉大さを、印象づけるはずだったが、
残念ながら当時の弥生人は、インド人ほどの教養環境で育ってはいなかった。
彼等の印象に残ったのは巨大な肉体をもった怪人が
実在するという「新知識」だけだったから、
やがてまだ見ぬ最高指導者の「大太良法師」と混線して、
ダイタラボッチという怪物の話が出来上がってしまったのである。
こうした民話は従来は漠然と、
愚かな古代人の想像した無駄話ぐらいにしか扱われなかったが、
そうした伝承学はもう古過ぎる。
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銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:28頁
《銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」》
「銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」」
これにも答える遺物がある。
それは関東以北に多く残る「ダイタラボッチ」の伝説である。
彼は肉体の大きな巨人とされるが、必要なのはその名である。
この名は地域で多少変わるが、
「大太良坊」や「大太法師」と書かれるのをみると、
「ボッチ」は「法師」または「坊主」であって仏教に関係のある存在である。
するとソナカとともに東方へ派遺された宣布団の、
もう一人の指揮者「ウッタラ」の名が浮かんでくる。
南九州では「大」は「ウ」と発音する。
「大太良」はぴったり「ウッタラ」に一致する。
この奇妙な巨人の名は、
ウッタラも日本列島へ来ていたことを、あらゆる点で教えるが、
時代が早く、地域が記録に残りにくい東国だったために、
僅かに童話的な伝説しか残らなかったとみていい。
彼はあらかじめ協議の上、
寒地を担当するために寒地向きの稲を準備していたと考えると、
熱帯アジアを次第に東遷したソナカらより、
早期に日本列島まで到達して布教していた。
それが卑弥呼より前の弥生前~中期に銅鐸などを考案して
信仰とともに稲作を教えた人々の正体だったのである。
こうわかると銅鐸に描かれた渦状文は水稲の母=水を意味し、
蜘蛛やカマキリは害虫を退治する味方で、
狩猟のように見えるのは稲を食い荒らす害獣の駆除法で、
籾を臼でついて収穫するまでの「絵解き読本」だとわかる。
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2013年3月22日金曜日
誰が開拓したか?弥生前期に弘前に水稲
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:27頁
《誰が開拓したか?弥生前期に弘前に水稲》
「誰が開拓したか?弥生前期に弘前に水稲」
1985年に青森県弘前市の砂沢遺跡で、
弥生前期の水田跡が発掘された。
弥生水稲が南九州に移植されてから、
1~2世紀の間に本州北端まで広がったのである。
これらは弥生中期に卑弥呼と結婚したソナカたち一行の遺物ではない。
それより5世紀も前の移住跡なのである。
それは前記の通り、
水稲栽培開拓にまつわる難問題を克服できるだけの、
かなりの人数の人々の大移住があった証拠だが、
交通至便な現代でも余程のことがなければ移住などしたくはない。
ましてや歩くか船に乗る以外に乗り物のなかった時代に、
本州の北の果てまで移住したのは、
余程の理由があったことになる。
一体だれがそこまで行ったのか?。
しかし当時、
水稲の原産地帯にも、中国にも、九州にも大量移住が
必要な大動乱や大災害などはどこにもなかった。
そんな地域まで、これほどの長距離大移動を敢行したのは、
世にも希な目的意識のある人々がいたためとするほかないから、
それはやはり弥生直前に敢行された
アソカ仏教宣布団の大移動以外にはありえない。
とすると、
マレー語源からフィリピンまで、ソナカと犬と支配者の称号を残した、
あの卑弥呼の夫の祖先のソナカが、南九州から次第に東北地方まで、
仏教圏を拡大して行ったのであろうか?。
またそんな寒地にまで熱帯ヤポニカ種が適応しただろうか?。
それとも寒地向きの稲も準備していたのであろうか?。
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2013年3月21日木曜日
天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:26頁
《天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡》
「天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡」
さらに見落としてならないのは、
水稲栽培技術の究極は「棚田(たなだ)」を実現したことであるが、
その最古の遺跡が鹿児島県の天孫降臨の伝承地・笠沙の一部にあるという事実である。
私(加治木義博)は40年ほど前に、同地出身で同学の親友片平武三氏と現地調査をした。
この棚田は後世の長野県などのものに比べると、はるかに小規模ではあるが、
技法はすでに確立されており、鉄器の不自由だった弥生初期に、
水稲稲作の先進国だけがもつ英知、進んだ技術が
そのまま南九州に入ったことを立証していた。
これは『紀・紀』の天孫降臨の伝承をもつこの地域が、
その伝承のまま、
北部九州よりも水稲稲作先進地だった証拠である。
発掘考古学者が無視したこうした遺物もまた、
軽率な中国→朝鮮→北部九州説を完全に消去する力をもっている。
この笠沙と一体になった
南九州西岸、吹上砂丘の東部、海岸から約2.5kmの地点に、
地図に記入した高橋貝塚がある。
ここは縄文晩期から弥生前期にかけての遺跡で、
出土品の甑(こしき)=(穀物を蒸す土器)に、
土器を作る際に付着した熱帯ヤポニカ稲の籾(もみ)の跡が、
幾つも付いているのが発見された。
また同時に発見された石器には
稲作関係の器具が完備して稲作文化の実在を証明し、
鏃(やじり)の残骸らしい鉄器片まで出土しているのに、
土器は高橋Ⅰ式とⅡ式という、
北部九州の板付式土器と共通点の多い土器だけが出土して、
大陸系のものは一つもない。
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2013年3月20日水曜日
ソナカ宣布団が残した共通の名詞群
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:25頁
《ソナカ宣布団が残した共通の名詞群》
「ソナカ宣布団が残した共通の名詞群」
稲に関連したマレー語の名詞には、まだ日本語と共通のものがある。
穂をブリルというのは稲穂をイナボという「ボ・ホ」の沖縄発音「ブ」に合い、
船の早漕ぎ競争の名を「穂利(フウリ-)」と書くのは、
稲の渡来時の苦労と感謝を忘れないための「ブリル」に語源があり、
その行事を伝えた南中国でも古来「巴竜船」と呼ぶのは、
沖縄人と共通の歴史をもつ証拠である。
また東北地方の古語では古墳を「ホーリョー」と呼ぶが、
これも稲をもたらした倭人が、
「穂利・巴竜」と呼ばれた名残りとみれば、謎はとける。
マレー語では米はプラスである。
これと関連があるのは「部落」で、
これは「米作り」を指すプラスへの当て字とみて間違いない。
これがさらに清音化すると「プラ=ムラ」になる。
ではソナカらはマレー語圏からすぐ我が国へ来たのか?。
フィリピンのタガログ語を調べてみると犬は aso アソである。
ここではソナカよりもアソカのほうが強く印象に残ったのだが、
ソナカが来なければ「犬」にこの名がつくことはない。
アソは我が国でも阿蘇・阿曽・麻生などとして残っている。
タガログ語bnでは米は「 inapui イナプイ」である。
いうまでもなく「イナ・イネ・イン」の仲間で、
これも「稲生・稲武」という地名や姓がある。
過去の発掘調査で充分だとは誰も考えないが、
ソナカ宣布団のコースはこれで、ほぼ固まった。
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2013年3月19日火曜日
マレー語と沖縄語に残ったソナカの足跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:24頁
《マレー語と沖縄語に残ったソナカの足跡》
「マレー語と沖縄語に残ったソナカの足跡」
「言語復原史学」なしでは先史時代の復元はもちろん、
混乱の激しい『記・紀』の再生もありえない。
当面の「弥生稲」の運び手捜査もまた同じことであるが、
目に見えるものしか理解できない脳のDNAの持ち主は、
複雑な思考能力を要するものを毛嫌いしたり、非難したりする。
それが劣等感の現われであることを見抜いて対応しなければいけない。
「弥生稲」の運び手も、一つ間違えばコジつけに見えかねない証拠を、
しかし広範囲に、そして確実に残している。
それは先にお話しした、東方宣布団の指揮者名「ソナカ=犬人」である。
彼等が東南アジア・コースを辿ったとわかったのだから、
その地域の代表的言語であるマレー語には、
卑弥呼をカシイと呼び、
水田を意味するサワが
我が国の初期水由だった「沢」の名として今も使われているように、
この犬を指す共通語も残っているはずである。
犬はマレー語でアンジンという。
我が国では「按針(アンジン)」は古く船旅を指揮する指揮者や船長を意味し、
「按司=アンジ・アジ」は、
王国時代以前の沖縄で支配者を指す代名詞だったが、
多くの学者が語源を特定できないままになっている。
その理由は語源を日本語に求めたためで逆だったからだ。
このうち「アジ」のほうも
マレー語では「統治者= adi アディ」として残っている。
ソナカは犬と翻訳されても支配者の代名詞になって分布しているのである。
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2013年3月18日月曜日
発掘考古学のマイナス要素が作った幻覚
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:23頁
《発掘考古学のマイナス要素が作った幻覚》
「発掘考古学のマイナス要素が作った幻覚」
では、それと一緒に残っていた大陸系石器などは、
中国のものではなかったのか?。
当時の中国銅器類、矛や鏡が大量に北部九州で出土するのをみれば、
そうした利器頼を売り歩く職業が実在したことは確かであり、
「矛や鏡が中国製だから、それを副葬している死者は間違いなく中国人だ」などとは
誰も断定しないし、
「正倉院の御物にアラビア製のものが多いから天皇家はアラビア人だ」ともいわないのは、
物品は売買という手段などで幾らでも所有者が変わるから、
それがもつ証拠力には限度があり、
それを動かない証拠にするには、
「物以外の、普遍的な遺物」すなわち言語とか地名とか、その他の名とかいった、
大勢の人々が共用していた無形文化財によって、疑問を一つ一つ解決してから、
それは間違いなく○○だ。
と結論するのでなければ、史学にはマイナスになっても、プラスにはならない。
発掘考古学は史実の復元には補助的な役割しか果たさない宿命をもった、
限界のある技術なのである。
大陸系だからといっても、
磨製石器や金属器はアソカ宣布団が買った商品に過ぎなかった可能性もあるし、
前記の地図でご覧の通り、中国の南には「河内(ハノイ)」がある。
これはよくご存じのベトナムで大陸系石器が出る。
これもまた中国だけのものと限定できる遺物でもない。
こうした点でも
「稲作文化は中国から朝鮮半島経由で来た」はウソなのだ。
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2013年3月17日日曜日
弥生時代を開いたのはマガダ文化
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:22頁
《弥生時代を開いたのはマガダ文化》
「弥生時代を開いたのはマガダ文化」
さらに前ページでもう一つ出た結論は、
イン・イナ・イネという名は3000年前からあった
日本語だということである。
それでなければ在来の説のように、
「稲作文化」が縄文晩期以前は中国だけの文化で、
朝鮮半島経由の渡来人たちが縄文晩期に
「初めて」九州北部に移植した文化だとすれば、
稲は決してイン・イナ・イネと呼ばれるはずがない。
なぜなら、
なにも新しい日本名を無理して付けなくても、
鉄はテツ、金銀はキンギンと
中国語のままで便利に使われている。
稲も米も中国名のまま
「稲=トウ」や朝鮮語の「米=サル」と呼べばいい。
それは現代のラジオ、テレビ、パソコンなどと同じことだからである。
また動かぬ証拠品として、
形のある「物体」としての炭化米が、
縄文時代のかなり早期の遺跡から、
今も続々と発見され続けていて
「稲作文化」渡来期の上限を更新し続けている。
「稲作文化」は
「縄文晩期に、中国から朝鮮半島を経て九州北部から始まった」
のでないことはいうまでもない。
そんな説は完全に間違っていて「定説」どころではない。
では弥生時代を開いた九州の水稲文化はどこから来たのか。
それはその遺跡が明確な記録を残している。
南九州では「曲田」姓はマガタと読みマガダへの当て字だから、
福岡の遺跡「曲り田」は後世の読み替えである。
我が国の弥生時代はアソカ宣布団が運んで来たのだ。
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2013年3月16日土曜日
殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:21頁
《殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡》
「殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡」
」
植物名としての「イネ」は確かに「イン」のものだった。
阿見町から牛久(うしく)町を隔てた町は伊奈(筑波郡)だ。
このイナの地名は、」
いまの町村単位以上のものをあげると次のようになる。
1 稲垣(イナガキ)村(青森津軽)
2 稲川(イナカワ)町(秋田)
3 猪苗代(イナワシロ)(福島)
4 印旛(インバ)郡(千葉)
5 稲城(イナギ)市(東京)
6 引佐(イナサ)郡(静岡)
7 伊那(イナ)地方(長野・岐阜)
8 稲沢(イナザワ)市(愛知)
9 稲武(イナブ)町(愛知)
10 員弁(イナベ)郡(三重)
11 印南(イナミ)町(和歌山)
12 伊根(イネ)町(京都)
13 猪名川(イナガワ)町(兵庫)
14 稲美(イナミ)町(兵庫)
15 因幡(いなば)国(鳥取)
16 稲築(イナツキ)町(福岡)
これらが稲を意味することは、
阿波=粟(アワ)、
吉備(キビ)、
牟岐(ムギ)、
日吉(ヒエ)などの
穀物地名が立証している。
最後の稲築のイナツキという発音は、
その福岡県から出土した『漢 委奴 国王 印』と
彫られた金印と比較すると、
「イナ=委奴」「ツ=津=の」「キ=王、または城」と
完全に一致する。
そこは福岡県でも
「嘉穂郡=目出度い・素晴らしい・穂=稲の国」という名をもった地域である。
委奴国は「稲の国」だったのであり、
それは弥生時代をひらいた水稲文化の発祥地に、
最もふさわしい国名だったことに異議はない。
3000年以前の殷の聖地「稲敷」のイナと、
B.C.E.3世紀の「稲築」と、
2つの稲の発祥地があることになるが、それは不思議ではない。
水田跡の分布からみても
殷の稲は「陸稲」であったことは疑いの余地がなく、
委奴の稲は「水稲」だったことも疑いがない。
はっきり区別がつくからである。
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殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:20頁
《殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」》
「殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」」
前記の『日本人のルーツ』にも書いておいたが、
その殷の都の跡は今も明瞭に残っていて殷墟と呼ばれているが、
正確に北緯36度線上にある。
その線上を実っ直ぐ東へ進んで、キッカリ2200kmの所は茨城県稲敷郡で、
「イナ=殷」「シキ=儀式」とみると、殷とって重要な聖地だから、
3000年前に大変な測量をして、都と聖地を配置した形になっている。
そればかりではない。
その稲敷郡の中でも、
阿見(アミ)という特殊な名をもつ町には「福田貝塚」があって、
そこから出土したダルマ型の水差し(西宮市辰馬史料館蔵)は二本の角のある人の顔があり、
臍(へそ)のあたりに土瓶の口があった痕跡の穴があるので
「人面注口器」と呼ばれているが、
一方の殷墟からもこれと僅かな違いしかない、角も顔も注ぎ口もあり、
手や模様など重要な点が20以上も共通している
青銅器「人面盉」(米国フリア美術館蔵)が見つかっている。
殷と稲敷の間には、切っても切れない関係があったことは疑う余地がない。
これで殷帝国にはどんな信仰があったのかもわかる。
それは太陽が昇るのを拝むもので、
太陽を神とする信仰だった、なぜ?そんなことがわかるか?。
それは茨城の古名が記録しているからである。
「ヒタチの国」とは、日が発(た)つ場所=日の昇る国である。
それは殷の人々が
「毎朝拝む日の神が昇天する神聖な場所」だったことを記録した「名」以外にない。
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