2012年6月29日金曜日

為吾は大隅系の旁国=肥後菊池郡の子養郷



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録12:31頁

 《為吾は大隅系の旁国=肥後菊池郡の子養郷
 「為吾は大隅系の旁国=肥後菊池郡の子養郷

 為吾 gwia ngo 

 グイアンゴ、グヤンゴだから、

 呼邑のゴイヤのゴがグになった沖縄発音に、

 助詞の「ン」と「郷」を短く発音した

 「ゴ」のついた地名=「五位野(グイヤ)ン郷】という

 大隈発音とみるのか最も合理的である。

 しかし倭人が1つのうにを、たとえ発音が違っても2国と数えて、

 帯方郡使こ教えるということはありえない。

 これは当時すでに呼邑人が移住していた移住先の地名でなければならない。

 その候補地は、

 さきに見た日向国の児湯耶か、

 肥後国・飽田(あきた)郡の蚕(こ)養郷と

 菊池郡の子養郷が、

 大隅語圏と近接した地理関係からみて最も可能性が高いが、

 語尾がゴだから郡のついた児湯郡には合わず、

 蚕養と子養の2郷のほうに合う。

 その内でも「子養」のほうが、

 沖縄発音の「グヤ」にぴったりの当て字になっているし、

 為吾はイゴという発音のほうが常識的だから、

 それなら肥後のギリシャ~インド訛りと共通すること、

 さらにさきにご覧にいれた

 『倭名類聚鈔』による呼邑の子孫の分布地名のうち、

 他のものはどれも原音を残しているのに、

 この「子養」だけは「コカイ」とわざわざ発音を大きく変えさせているので、

 8世紀以降の中央政権が特にこの子養を敵視したとみていい。

 これは為吾が中国の正史である

 『魏書』に名を残した古代九州政権の要地であったからだとみると、

 旁国の為吾国は

 この肥後・菊池郡の子養以上の候補地はない。

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