2012年6月5日火曜日
読み変え地名は歴史の重要証人
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:7~8頁
《読み変え地名は歴史の重要証人》
「読み変え地名は歴史の重要証人」
しかし、
宮之城をクヌギと読むような読み替えやく、
実際に行なわれたかどうか、
念をいれて確認する必要がある。
宮之城には「柊野」という地名があって「クキノ」と発音する。
これと同じ発音で読める「久木野=クギノ」という地名もある。
これらと宮之城を見比べてみると、
宮城野と書けば、
これもやはり「クキノ、クギノ」と読めるから、
これらのクキノは確かに宮城野が元になって
派生した2つの当て字だと認められる。
昔は宮之城に宮城野と呼ばれる原野か庭歯が実在していたのである。
それがなぜ発音を変えられてしまったのか?。
「宮城(きゅうじょう)」は今でも皇居を意味する。
これは『続日本紀』和銅6年5月2日の官命にある
「畿内 七通 諸国 郡郷名 着 好字=
畿内や七通諸国の郡や郷の名には好い文字をつけよ」
という厳命に明かに抵触(ていしょく)する。
「宮城」は決して悪い文字ではないが、
南九州の片田舎にあってはならない地名だからである。
これはその年に同時に政府に「召し上げられ」たり、
提出を命令された『古事記』や『風土記』などと同じく、
『日本書紀』以外の不利な反大和政権記録を消滅させようという、
天武天皇の焚書の知恵の遺産である。
今も宮城という地名や姓は、
当時奈良政権の手の届かなかった南北の辺境にしか残っていない。
宮之城も文武4年(700)の薩末(さつま)比売の乱や、
養老4年(720)の隼人大反乱にみる
反大和政権勢力が残した地名だったとみるほかない。
しかし中央政権が次第に強化し、
また鹿児島は日本発祥の地という特殊事情もあって、
結局中央の意思に従うしかない。
こうした政策の犠牲者として
クヌギやクキノという地名読み変えが現実に生まれた。
それでも敗者倭人のバイブル『古事記』は、
最後の抵抗として
「鹿児=香、宮之城=歴木」などの苦しい当て字を使ったが、
『日本書紀』ではそれさえも消されてしまった。
現存する読み替え地名、柊野、久木野も、
こうした歴史の生き証人として、
今では数少ない得難い文化財である。
『古事記』の筆者が
後世に託した1200年の永く深刻な信託は、
私たちが読み解いてこそ初めて叶えられることを、
学者として決して忘れてはならない。
この焚書は、さらに重要な形で大量の証拠を残している。
それがミヤノという地名のミノへの発音転嫁なのである。
本来はミヤノに対する当て字だった「弥奴」を、
以後すべてミノと発音することに決めてしまった
その第一号が「三野国造」だったのである。
ミヤノは奈良政権が存在せず、
そんな外圧のない時代に外人の帯方郡使が発音に忠実に当て字した地名だから、
『古事記』が書く崇神天皇記の「河内国の美努(みの)村」も
真実は当然「川内の(川内市)宮之城」以外にはない。
ところがこれも
『日本書紀』(崇神天皇7年秋8月)では「茅淳(ちぬ)県の陶の邑」と、
わざわざ8世紀の大阪の地名に変えた実態が、
余りにも丸見えである。
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