2012年6月30日土曜日
鬼奴国の明清音にピッタリ合う栗野
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:32頁
《鬼奴国の明清音(ミンシンおん)にピッタリ合う栗野》
「鬼奴国の明清音(ミンシンおん)にピッタリ合う栗野」
鬼は[球玖(きゅうぐ)]だったから、
鬼奴国は「球玖 no 国」ということになるが、
現在はもちろん『倭名類聚鈔』にも、これに似た地名はない。
だが隋唐音の時代に喜入と当て字が変わったほど変化したのだから、
現在はさらに近世の明清音に変わっている可能性がある。
鬼奴の明清音は kuei nu クェイ ヌで、
沖縄語系の大隅語では e がなくなってクイヌ。
この後者なら鬼国のあった球磨郡に隣接している
鹿児島県姶良郡の北部に、
現在もクイヌと発音している栗野町がある。
『倭名類聚鈔』の姶羅、大隅両郡に岐刀(キトウ)郷があるが、
これには該当する土地がない。
だが支配者をみると天武天皇に忌寸(いむき)の位を受けた
大隅の直(あたえ)と、
岐の直(あたえ)の2つの直(あたえ)がある。
岐の直は天平勝宝元年に外従五位を受けている。
これをみると岐刀郷は明かに岐乃郷の誤写である。
これがわかると鬼奴(キノ)=岐乃(キノ)が一致する。
ただしこれは鬼を日本式発音でキと発音してのことで、
クイヌは鬼奴の字に対する中国の近世音なのだから、
岐乃(キノ)は表面的な用字で、
実際には鬼奴のままだったことになる。
栃木の鬼怒川が今も鬼奴の名残をとどめているのも傍証になる。
明の言葉が使われた時代のこの地域の大事件は、
嶋津義弘の朝鮮出兵だが、
彼が栗野城を造っている。
その栗野の当て字がいつから使われたかが確定するまでは、
断言は差し控えるが、
いまのところこの栗野が鬼奴国の第一候補である。
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