2012年6月4日月曜日
奴国は卑弥呼政権に止めを刺した古戦場
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:5~6頁
《奴国は卑弥呼政権に止めを刺した古戦場》
「奴国は卑弥呼政権に止めを刺した古戦場」
この宮之城には女王がおり、
都之城には男王がいたという伝承が残っているのも、
斯馬国=嶋津之庄=都之城と、
この宮之城が、
古代連邦の重要な2大中心地を形成していた時代があったことの証明だとみると、
弥奴国は旁国中でも比較的大国だったことがわかる。
仮に、
ここより発音がピッタリの地名が他にあったとしても、
その勢力下にある自治圏の大きさや、
対比される都之城との位置関係が不合理なものは、
国を形成していた当時の遺物だとは認められない。
それは移住者が自分でつけたか、
周囲からそう呼ばれたかした地名に過ぎず、旁国の本体ではない。
吉田町の宮の浦がその好例で、浦という地名がついているが、
吉田町には海はなく四方を山に囲まれた地域にある。
これは明かに屋久島の宮之浦からの移住者が、
そこへ定住したことを証言している地名なのである。
だから宮之城は発音から伝承に至るまで完備した弥奴国の比定地である。
それは錦江湾で二分された小国日本の西の中心に相応しい位置にあって、
東の中心だったという都之城との関係を疑わせない。
それだけでなく、
宮之城が邪馬壹国建国当時に重要な都市だったことを記録したものがある。
それは『古事記』の神功皇后記中にある
「香(かご)坂主と忍(おし)熊王との戦い」の一節である。
「於是 息長帯日売命 於 倭 還上之時」
「香坂王 騰 坐 歴木(くぬぎ) 而 是 大怒猪
出 掘 歴木 即 咋食(くう) 其 香坂王」。
「そこで神功皇后が、倭に還りのぼるその時」
「カゴサカ王がクヌギにあがっていると、
猛り狂った猪がクヌギを掘って、
その香坂王を食い殺してしまった」
これと同じ話を『日本書紀』は
「麛(かご)坂王 忍熊王」
「二王 各居 假庪 赤猪 忽出之 登 假庪 咋(くう) 麛坂王 而 殺焉」
「カゴサカ王と忍熊王が仮屋にいると、
赤猪が突然現われて仮屋にあがりこみカゴサカ王を殺してしまった」
と書いている。
麛坂王は鹿児島半島の王という名乗り、
忍熊王は大隅半島と熊毛の王という名乗りだから、
いやしくも皇太子で一国の王である人が、
戦争の最中に木登りをするはずもなく、
赤い色の猪もいないし、いたとしても猪は木には登れない。
クヌギというのは木の名ではなく地名であって、
神功皇后=壹與が沖縄から倭の都へ攻め還った時、
クヌギと読み誤った地名の土地にいた鹿児島半島の支配者が、
アカイという武士に殺されたというのが元の記録である。
鹿児島半島の中心といえる位置にある
宮之城は「宮=ク、之=ヌ、城=ギ」と読めるが、
他に読める地名はない。
卑弥呼政権が倒れた戦争は確かにこの地域を戦場にして、
卑弥呼側の鹿児島半島(薩摩半島)支配者は、
この弥奴国=宮之城で戦死したのである。
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