2012年6月25日月曜日
対蘇は津和野へ行き、帖佐になってしまった
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:19頁
《対蘇は津和野へ行き、帖佐になってしまった》
「対蘇は津和野へ行き、帖佐になってしまった」
対蘇 twad so は「ツワド・ツワゾ」に最も近い。
ドはノとすぐ交替するから、
島根県の西端にある津和野がよく合うが、
そこはJRの山口線があるから有名な観光地になったが、
鉄道がなければ辺境で、
九州には近くても、
とても旁国に数えられるような地理的条件は、もっていない。
島根県は出雲・石見(いわみ)で構成されているから、
鹿児島県の出水(いずみ)人の植民地であり、
日向神話と密接につながった出雲神話の保有国でもあるから、
この地名も南九州からの移住者である可能性が高いが、
すでに南九州には、対蘇に合う地名はなくなっている。
だが、沖縄語人がそれを消したとすると、
語尾のドやソの母音は o が u か a に変わっているはずである。
そこで語頭がツで語尾がスかサの鹿児島型短縮音の地名を探すと、
ピッタリの「帖佐」がある。
これは今の鹿児島県姶良郡姶良町の古名で、
今はJRの駅名と姓に残るだけになっているが、
「ツサ」と発音するから、短縮音 tw sa と完全に一致している。
帖佐と津和野の2つの地名は、
こうして今でも元は1つだったことがわかるが、
これには有力な傍証がある。
それは石見地方の言葉の発音と抑揚が、
鹿児島語のそれと実によく似ていて、
アクセントだけ聞いていると間違えることがある。
これは同じ言語と地名が分裂移動したことが事実であって、
以上の推理が正しいことの動かない証拠なのである。
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