2012年6月10日日曜日

九州に実在した「数を国名にした国々」・2



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録12:13頁

 《九州に実在した「数を国名にした国々」・2 
 「九州に実在した「数を国名にした国々」・2 

 古代九州には、数を国名にした国々が、もう1種類ある。

 10頁のものはイチ・ニ ・サンという中国の数詞だったが、

     こちらはヒ-・フー・ミーという日本式数詞なのだ。

 ヒー 火・日・肥

 フー 不弥・不呼

 ミー 弥奴

 ヨー 与那

 イツ 伊都

 ムー 霧島・武・牟田

 ナー 奴国・那覇・娜・儺

 ヤ  八女・山国

 コー 高麗・甲突川(鹿児島市)・コーツキ=高津王

 トー 投馬=十国=十島
       
 倭人章の中に記録されていない国名があるが、

 それは

 「もと百余国あったが、

  使訳=使者や通訳、通ぜる=これには「外交関係がある」と「知っている」との

  2つの意味があるが、そんな国が30か国ある」

 という報告記事があるのだから、

 魏との外交関係のない国が、

 記録に入っている国々以外に、

 まだ70国あったのであって、

 この数詞の国はその全体に散らばっていたのである。

 それが2千年近く経った今でも確認できるはど完全に揃っていることは、

 それが偶然そう見えるだけなのではなくて、

 本当に実在したことの証言なのである。

 この事実は、

 3世紀以前の九州の文化が、

 すでに中国の数詞と日本の数詞とを使い分け、

 それに対応する漢字も使いこなしていたことを、

 しっかり立証しているのである。

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