2012年6月27日水曜日
蘇奴国と隼人と狗奴国は犬人の一族
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:26頁
《蘇奴国と隼人と狗奴国は犬人の一族》
「蘇奴国と隼人と狗奴国は犬人の一族」
でも、
蘇奴国がギリシャ・インド文化の国だったことを、
まだ信じられない人のために、
さらにつけ加えておくと、
さきにお話しした叟那(ソナ)国の「 sona 」は
パーリ語で「犬」のことであるが、
奈良市北端の奈良坂町にある元明天皇陵には、
裸体でサンダルを履いた頭部が犬の画像右があって、
古来「隼人石」と呼ばれているし、
平城京では儀式に際して供奉(ぐぶ)した
隼人が「犬吠え」をしたと記録されている。
これはまた魏書倭人章の「狗奴国」が
「犬の国」を意味した用字になっていることにも合う。
狗奴国は卑弥呼政権には属していなかったが、
血統的には蘇奴国の人々と同族だったから
「海幸・山幸」では兄弟にたとえられているのである。
では大隅へはどこからやってきたのであろうか?。
それもよくわかっている。
壹與の別名である赫居世が即位した当時の国名は「徐那伐」で、
これはヨナバルと読めるので沖縄県の与那原に合うが、
徐はソの発音もあり、伐もキルと読むから、
ソナキへの当て字にもなり、
伐はカルとも読むからソナカへの当て字にもなる。
ソナキは蘇波城とも同音だし、
長崎県の東西に分かれた彼杵(そのぎ)郡とも、
もとは同じ国名である。
沖縄にはソナカという国があり、
壹與は位宮(=琉球王という名乗り)とともに
沖縄から大隅に遠征したのだから、
与那原と蘇奴国とは同時存在だったが、
ソナカ国のあった沖縄のほうが蘇奴国より前だったのである。
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