2012年6月3日日曜日

ミヤノに合う地名=宮之



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録12:4頁

 《ミヤノに合う地名=宮之
 「ミヤノに合う地名=宮之

 弥奴の漢魏音は miar no 、

 南九州ではラ行音は母音だけになるからミヤノに最も近い。

 これに合う地名は鹿児島県に集中していて、

 南から屋久島の上(かみ)屋久町に宮之浦、

 島の最高峰が宮之浦岳、

 薩摩郡に宮之城(じょう)町、

 鹿児島郡吉田町に宮の浦がある。

 屋久島の宮之浦は現在は小さいが、

 全島を代表する最高峰に宮之浦岳と名づけたのは、

 かつて宮之浦は宮殿のある都であり、日本と東京の関係のように、

 屋久島の代名詞だった可能性が非常に高い。

 また宮と位宮らの高句麗王家は、

 当時の歴代の王がすべて薩摩半島各地を名乗りにもち、
 
 北宋『通典』の『後漢書』帥升(スサヌウ)を

 倭・面土 mian dzu 国王と書き、

 ミヤンヅー=宮之城という今の発音通りである。

 またその歴代の王の諡号(しごう)(死後の贈り名)も、

 またこの地域から熊本県にかけての地名をもっていることからみて、

 3世紀後半の卑弥呼政権から直前の時代にかけての弥奴国には、

 宮之浦よりも宮之城のほうがより多く一致点をもっている。

 するとすでに立証ずみの通り、

 帥升(スサヌウ)と位宮をスサノオの命のモデルとしてみると、

 彼らが厄(やく)神という別称をもつ理由は、

 ヤクの名をもつ屋久島から来た王ということに一致するから

 宮之浦は昔の都の跡、

 宮之城は本格的に城を築いて、

 首都にしたという地名になっている。

 吉田町の宮の浦は余りにも小さいから、

 これは小規模な移住による地名分布の跡なのだ。

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