2012年6月7日木曜日

九州に実在した「数を国名にした国々」・1



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録12:10頁

 《九州に実在した「数を国名にした国々」・1
 「九州に実在した「数を国名にした国々」・1

 ここでついでに記憶しておいて戴きたいのは、

 沖縄語はマレー語系だから3母音語なのであるが、

 そのマレー語で「1」を意味する「サツ」が国名の「壹」に取って変わって

 壹国(サツマ)→「薩摩(サツマ)」という国名になったのも、

 さきにお話しした8世紀の薩末(マ)比売の時代からで、

 その証拠に、

 ご覧のとおり薩摩という文字も、

 当時はまだ完成せず薩末(サツマ)と当て字している。

 だがそれは、

 その地域が壹国、

 すなわち壹與と伊支馬を首班とする邪馬壹国だったことの、

 生きた証拠なのだということである。

 では壹国とはどんな意味をもった国名だつたのか?。

 実は古代九州には数を国名にした国々が完備していたのである。

 挙げてみよう。

 一国 伊支馬・壹国

 二国 日本

 三国 三瀦(づま)=三津国(福岡県)

 四国 斯馬

 五国 呼邑・五島(長崎県)

 六国 六合=リクアウ→リクウ=琉球・陸奥=ムツも6

 七国 敷根=シッネ(鹿児島県)

 八国 八耶=ハヤ=隼人(鹿児島県)・八幡=ハチマン=八国(マン)の(鹿児島県)

 九国 狗奴・球磨(鹿児島・熊本県)

 十国 重富=ジュウフ(鹿児島県)・投馬=十之国=十島(鹿児島県)

 これらは3世紀より前に沖縄から九州全域に分布して、

 消長があったことがわかる。

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