2012年6月28日木曜日
五位野から児湯郡に移動発展した呼邑国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:28頁
《五位野から児湯郡に移動発展した呼邑国》
「五位野から児湯郡に移動発展した呼邑国」
呼邑 go iapはゴイヤッにいちばん近い。
鹿児島市のJR西鹿児島駅から南へ走る
指宿線で4つ目にある駅は五位野(ごいの)。
この語尾の「野」を音読して「ヤ」と読むとゴイヤ。
この地名が呼邑の漢魏音に全国でも最もよく合うから、
3世紀の旁国「呼邑国」はここ以外にない。
しかしここも今は駅名があるだけで、
他の多くの例と同じくほとんど消滅しかかっている。
呼邑を現代日本の漢音で読むと「コユ-」だが、
これにぴったりなのが宮崎県の児湯(こゆ)郡である。
この郡には特別に有名な温泉地もないから、
郡名の湯の文字には何の意味もないので、
単なる当て字だとすぐわかる。
しかし何に当て字したのか分からないから、
呼邑が語源だと考えるほかない。
卑弥呼時代には五位野にあった呼邑国が、
その後児湯郡の辺りに移動して、
郡の大きさにまで発展したことが、はっきりわかる。
それはさらに10世紀には、
北陸から関東にまで郷名として分布したようにみえるので、
現在の発音は異なっているものも、
それらしい可能性のあるものは全部挙げておこう。
蚕(コ)養=肥後国・飽田郡。
子養=肥後国・菊池郡。
小家=筑後国・生葉郡。
木夜=筑前国・遠賀郡。
小宅=播磨国・揖保郡。
児屋=摂津国・武庫郡。
小屋=能登国・鳳至(ふげし)郡。
禾生=上総国・山辺郡。
小埇=下総国・結城郡。
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