2012年5月9日水曜日
陳寿が著者でない証拠
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:20~21頁
《陳寿が著者でない証拠》
「陳寿が著者でない証拠」
では畿内説以外の北部九州説なら完全かというと、
やはり欠陥に満ちている。
一体なぜ?そんなことになるのだろう?…。
その原因の中の大きなものは、
陳寿を「著者と誤解」していることである。
それがどんな結果を生むか見てみよう。
過去にベストセラーになった邪馬台国論を読み返すと、
非常に鋭く一字一句を分析して、
例えば
『それまで倭女王と書かれている卑弥呼が、
明帝の沼書で親魏倭王に任命されたあと、
正始元年に梯儁(ティシュン)が
来朝して会ったときには「倭王」と書いてあり、
そのあとの8年の部分には「倭女王卑弥呼」と書いてある。
陳寿がこんなに「書き分けている」のは、
梯儁(ティシュン)が会って
金印や鏡その他の贈り物と親魏倭王の辞令を書いた詔書を渡した相手は、
卑弥呼ではなくて他の男王だったのだ』と結論して、
それから議論を展開したものがある。
仮にこの説が正しいとすれば、
いま話題の三角縁神獣鏡も「卑弥呼の鏡」と呼べなくなるわけだし、
そんな親魏倭王でなくなった卑弥呼が助けを呼んだからといって、
わざわざ帯方郡使の張政が遠路を厭わず駆け付けることもないはずで、
謎はさらに深まって、
一層、解明が困難になり、遅れることになる。
だが用語が違うのは報告書の筆者が別人であるためで、
陳寿は報告書を整理して纏めただけの編集者にすぎず、
別に「書き分け」たわけではない。
だが用字や用語や文章の不揃いは重要な情報で、
不用意に見過ごせない。
それはそれらの報告書を誰が書いたかを見分ける上で、
第一貴重な手掛かりだからだ。
もちろん陳寿も、
それに手を加えてはいけないことぐらい、よく心得ていた。
そうした筆者の書き癖、心配りが、それぞれ表現されたまま、
現代まで伝えられたのである。
陳寿は「原典」すなわちそれらの報告書類に忠実に、
できるだけ手を加えずに、
良く考えて良い位置ににそれらを配置した。
これが「編集者の良識」である。
編集者らの他人が私見をはさんで勝手な解釈を加えれは、
それは必ず奇妙な誤差を生む。
だが、倭人章は陳寿の良識に救われた。
だから原筆者を詳細に特定できる。
それからスタートすれば、倭人章はさらに明快に、
その記事の内容を、より豊にしてくれるのである。
それを深く考える頭をもたないために、
単純に陳寿を著者と思いこんでしまい、
利口ぶって解釈し、真実を無残に破壊してみせた現代の著者は、
一体、なにをしたのか?。
それは、
市民の健康を守るためだとゴミを焼却してダイオキシンを撒き散らしたり、
国益のためだとダムや堰堤を築いて貴重な生物資源と文化遺産を壊滅させたり、
経済発展のための国土開発だと称して焼き畑をやめずに、
国土の大半を山火事の煙で覆って、
祖国の疲弊を激しく加速させた某国の資本主義亡者らと全く同じことを、
日本人にとって掛け替えのない
「貴重な文化遺産=客観で書かれた日本最初の唯一の大記録」に
対して行なったのである。
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