2012年5月20日日曜日
女王国は3度、大きく変動した
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:27頁
《女王国は3度、大きく変動した》
「女王国は3度、大きく変動した」
こうみてくると、
倭国から邪馬壹国への変動が、
次第に全貌を現わしてくる。
しかしなおこの大変動が信じられず、
壹與は「卑弥呼の崇女」とあるのだから、
彼女が「卑弥呼の鬼道」を引き継いだのであって、
宗教的にも、政治的にも大した変動はなかったと、
思い込んでいる学者も多い。
この問題は、果たしてどちらが正しいのであろうか?。
これに対する答えは、
倭人章に記録された「女王国の変動」である。
その変動は、
① 第1回郡使の「梯儁がきたときの女王国」であって、
それはこう書いてある。
「自 女王国 以北 其 戸数 道産 可 略載 其余 旁国 遠絶 不可得 詳」
(女王国から北の国々は、
その戸数や道のりを、
ほぼ記載することができるが、
それ以外の旁国は遠過ぎて詳しく書くことはできない)
この旁国の中に奴国があって、
この奴国は「女王国の境界が尽きる所」だと明記してあるのだから、
奴国までが女王国であることは間違いない。
すると少しも遠過ぎないから詳しく書くことができるはずなのに、
それは「女王国以南」の、
「万事不明の遠絶の旁国」の中に人っている。
するとこの「女王国 以北」の記事は、
梯儁が卑弥呼に会った
伊都国が女王国だった当時の記録の場合だけ不合理ではない。
梯儁は確かに伊都国以北を詳しく書いている。
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