2012年5月26日土曜日

己百支(しぶし)に一致する鹿児島県志布志



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録11:23~24頁

 《己百支(しぶし)に一致する鹿児島県志布志
 「己百支(しぶし)に一致する鹿児島県志布志

 しかし己だと「 sieg シェ・シ・セ」だから全く異なった地名になる。

 己百支 sieg bak tieg シェバチ、シェバキ、シポチ、シボキ、シボシ

 己百支はシェバキ、シボチ、シボシなどと幾とおりにも読めるが、

 このシボシの大隈発音だと、

 ボがプになるのでシプシ。

 現在ある鹿児島県曽於都志布志町の名と完全に一致する。

 それにいちばん近い国造の候補は

 「親治国造(志賀高穴穂朝)である。

 これはシムジ・シムチと読めるので、

 その発音だけが残っていた後世に、

 沖縄発音のプを南九州発音でムと発音して、

 それに合わせて当て字した可能性がある。

 このプとムの変化は、

 武・無などの文字が両方の発音をもっていることは周知の事実だから、

 志布志シプシと親治シムチは方言差への当て字めちがいだけなのである。

 親の字はシンという漢音をもつから新治と書き替えたものがあり、

 ついで「ニイバリ」と発音されて、茨城県の地名とされ、

 『日本書紀』はわざわざ古風な万葉ガナを使って

 「珥比磨利、菟玖波塢須擬弖、異玖用伽邇菟流…、

  新治、筑波を過ぎて、幾夜か寝つる…」と書き、

 『古事記』はさらに発音に合わせて

 「邇比婆理、都久波衰須擬弖、伊久用加泥都流…」と

 補正している。

 なぜそんなことをしたのか。

 その答は『旧唐書』がよく説明している。

 「日本国は倭国の別種…日本はもと小国、倭国の地を併せたりと…

  その入朝者は多く自ら衿(きょう)大(偉そうにしていて)実をもって対(こた)えず

  (本当のことを言わない)」。

 当時の日本人遣唐使は、

 唐に対して非常にコンプレックスをもっていて、

 侮(あな)どられまいとして、

 態度が固く尊大で、

 事実を率直に語らず、すべてに嘘が多い。

 と書いている。

 『日本書紀』は漢文で書いてあることで明白なように、

 唐に対する宣伝用の文書である。

 朝鮮半島の百済植民地と大国高句麗を滅ぼしたのは、

 新羅を援助した唐の軍事力だったから、

 その唐の同盟軍だった天智天皇系政権を倒して皇位についた

 天武天皇は、

 その唐を牽制することに全力を傾けた。

 その謀略戦の最大の武器が『日本書紀』だったのである。

 その時、生まれたばかりの彼の日本国は弱点だらけだった。

 とくに彼等は南九州からやってきたよそ者で、

 わずかに奈良と周辺を守るだけの味方しかもっていなかった。

 唐がそれにつけこんで、

 侵略してくれば、ひとたまりもない。

 それをさせないためには、

 彼天武天皇は、

 広大な日本列島の太古からの天皇家の後継者であって、

 彼のためには全国民が総力戦を戦うと唐の政治家たちに思わせねばならない。

 日本武尊は小地域の英雄ではなく、

 東北地方にまで名の轟いた偉大な皇子で、

 天武はその血をうけた貴い後継者である必要があったが、

 まるっきりの嘘は通用しないから、

 史実や伝承をできるだけ拡大して編集したのである。

 これで親治国造が志布志の統治者だったことが、

 一層よく理解できたと思う。

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