2012年5月22日火曜日
所要時間が否定する邪馬台国大和説
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:32頁
《所要時間が否定する邪馬台国大和説》
「所要時間が否定する邪馬台国大和説」
『延喜式』が書いている太宰府までの海路の日数は当然、
平安京からのもので奈良からのものではないが、
それが近畿~北九州間の所要時間であることには変わりはない。
原文にある報告書の「伊都国~邪馬壹国」間の所要日数とも比較してみる必要がある。
それには
「南至 邪馬壹国 女王 之 所都 水行 十日 陸行 一月」とあった。
水行とは航行のことなのだから、
10日では『延喜式』が書く30日の3分の1にすぎない。
これが10世紀のほうが速いというのなら、ありえないことではないが、
逆に3世紀のほうが速いことになるから、原文が書く、
この水行する海は瀬戸内海ではないとすぐわかる。
さらに補足すると、
3世紀当時の瀬戸内海は、
大阪府と奈良県境にある生駒山の山裾まであって、
それは後世まで河内湖として残っていたのだから、
10世紀の距離よりも、さらに遠かったのであり、
逆にその山裾から奈良に行くコースは短くて20km以内、
とても陸行に一月もかかる距離ではない。
私の足でも1日のうちに到着できる距離にすぎない。
これを書けば「水行 三十日・陸行 一日」でなければならない。
しかも原文には「南 室 邪馬壹国」と書いてあるのに
実行しない大和・機内説は
何もかも無茶くちゃである。
女王が都していたところは、絶対に奈良でも近畿でもない。
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