2012年5月19日土曜日
倭人章は梯儁と張政と陳寿の合作
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:22頁
《倭人章は梯儁と張政と陳寿の合作》
「倭人章は梯儁と張政と陳寿の合作」
しかしこの程度では一方的で、
非難が先走っていると誤解されるから、
著者=原文筆者が陳寿でないという具体例を見ることにしよう。
伊都国の説明の最後に
「郡使 往来 常 所駐」と書いてある。
これは
「帯方郡使は常に伊都国で駐在して、それから先へは行かない」
という断わり書きである。
これを書いたのは誰か、簡単にすぐわかる。
やってきた帯方郡使は梯儁と張政の2人しかいない。
「常に」というの時一度だけではなく
「幾度も」という意味の「複数語」である。
すると最初にきた梯儁は、
未来に別の郡使がくるかどうか、わかるはずがないし、
この文章自体、
すでに複数の群使が来たことを示す過去完了文だから、
それを書くことができたのは
後にきた張政か、編集者の陳寿のどちらかである。
すると、私(加治木義博)が今、
「伊都国の説明の最後に」と書いたのは、訂正が必要になる。
なぜならその前の、帯方郡から出発して対馬、一大、末盧を経由し、
伊都国までの紀行文と国の概略の説明文を書いたのは、
後任の張政ではなくて最初にきた梯儁だからである。
そこでさらによく観察してみると、
この文章は当事者のものではなく、
郡使以外の第三者の文章である。
張政でもないとなると編集者の陳寿が書き加えたものという結論なる。
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