2012年5月24日木曜日
伊都と斯馬=糸島説の壊滅ぶり
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録11:12頁
《伊都と斯馬=糸島説の壊滅ぶり》
「伊都と斯馬=糸島説の壊滅ぶり」
この伊都国は、
邪馬台国畿内説が陳寿の書く方角は間違っているといって、
証拠に挙げてきた国である。
そのとき彼等が挙げた伊都国は福岡県の糸島半島で、
これが伊都と斯馬だとして、
「それは末盧国(唐津)の東北にあるのに、
陳寿は東南と書いているから90度狂っている。
それを修正すれば南は東になる。
だから邪馬台国は末盧の東にある大和が正しい」と主張し、
それを定説として、
以後いろいろな説を接ぎ合わせてきているのである。
だが糸島なら船をつけて上陸できる。
何もわざわ唐津に上陸して
魏から運んできた百面もの銅鏡や大量の織物などの大変な重量物を
担いで五百里も歩く必要はないし、
その伊都から水行十日隆行一月するのだから、
唐津に上陸して、改めて糸島から船出する必要はない。
案内者は帯方から方向も距離も倭人章どおりに進んで、
無事に末盧へ到着したよく慣れた優秀な航海者だ。
大和へは壱岐から関門海峡を通過して瀬戸内海を進むのが常識だ。
また旁国は「遠絶していて細部不明」とあるのに、
その筆頭に挙げている斯馬国が伊都と隣りあった
「最も近接している」糸島の志摩だと主張するような無茶な人々は、
大切な思考機能に欠陥があることは確かで、
幾ら努力しても理解させることは不可能である。
私たちは無駄な説得や論争に時間を浪費せず、
さらなる未解決問題に取り組まなければいけない。
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