2012年5月25日金曜日
『旧事本紀』国造本紀の王朝と所在地
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録11:15~16頁
《『旧事本紀』国造本紀の王朝と所在地》
「『旧事本紀』国造本紀の王朝と所在地」
個々の国名を比較する前に、
国造たちが任命された時の政権とされる「○○朝」とは何か、
まとめて検討しておこう。
A 橿原朝 (3人) (本州説の所在地)
『古事記』 神武天皇 畝火の白檮原の宮 (檮)古音タウ 切り株・悪い木のこと
『日本書紀』 畝傍山の東南の橿原 奈良県橿原市
B 瑞籬朝 (1人)
『古事記』 崇神天皇 師木の水垣の宮 奈良県磯城郡
『日本書紀』 磯城の瑞籬の宮
C 纏向白代(まきむくひしろ)朝 (3人)
『古事記』 景行天皇 纏向の日代の宮 奈良県磯城郡
『日本書紀』 纏向の日代の宮
D 志賀高穴穂朝 (12人)
『古事記』 成務天皇 近淡海 志賀 滋賀県滋賀郡
『日本書紀』 景行天皇 近江の国に幸し志賀に居すこと三歳、是を高穴穂宮という
E 筑紫香椎朝 (1人)
『古事記』 仲哀天皇 筑紫の訶志比の宮 福岡市東区香椎
『日本書紀』 儺の県の橿目の宮
F 神功后御代 (1人)
『古事記』 神功皇后 ナシ
『日本書紀』 磐余(いわれ)の若桜の宮 磐余(いわれ)は奈良県橿原市
G 軽島豊明朝 (3人)
『古事記』 応神天皇 軽島の明(あかる)の宮 奈良県高市郡
『白本書紀』 明の宮
H 難波高津朝 (1人)
『古事記』 仁徳天皇 難波高津の宮 大阪市中央区高津
『日本書紀』 難波高津の宮
I 泊瀬朝倉朝 (1人)
『古事記』 雄略天皇 長谷朝倉の宮 奈良県桜井市初瀬
『日本書紀』 泊瀬朝倉の宮
9天皇のときに任命されたと書いてある。
それらの官名は都の所在地名であるが、
在来の『記・紀』の解説者は、
それを明治時代の解釈のまま、
橿原・磐余(いわれ)は奈良県橿原市、
纏向・瑞籬は奈良県磯城郡、
志賀高穴穂は滋賀県滋賀郡、
筑紫香椎は福岡市東区香椎、
軽島明は奈良県高市郡、
難波高津は大阪市中央区高津、
泊瀬朝倉は奈良県桜井市初瀬だとしている。
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