2012年4月27日金曜日
「謎メーカー」は邪馬台国畿内説
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:18~19頁
《「謎メーカー」は邪馬台国畿内説》
「「謎メーカー」は邪馬台国畿内説」
この地理記事には、
大和説にとって、
さらにもう一つ致命的な動かぬ反証がある。
それは先にみた女王国から海を隔てて
1000余里東にある同種族の国という意味の
「倭種の国」の記事だ。
原文は
「女王国 東 渡海 千余里 復 有 国 皆 倭種」である。
念のため、近畿地方の地図を見て戴くといいが、
邪馬台国だといい続けている奈良市から明日香村へかけての地域の東は、
全て山地で、海は全くない。
そこにある笠置山地の向うにある県境を越えて、
三重県に入っても、
そこはまた伊賀の上野高原地帯で、
その東には一層高い布引山地が横たわっていて、
それからさらに20km以上も下って、やっと伊勢湾に出る。
ところが記事では
「女王国の東、千余里」離れた位置に国があるというのだから、
そこまでの間には、人の住む土地はないはずなのに、
奈良から東の山地には、
多数の都市や町村が散在しているのだから、
単に海がないだけではなく、この点も全然一致しない。
またさらに厳密に倭人里の
「海を渡る千里=約66km」を奈良を起点に計ると、
その間(あいだ)は逆に陸地で、
皮肉にも約千里のところで逆に海=伊勢湾になる。
だから3世紀の女王国は、
その東岸がその伊勢湾岸の津市まであったのだとみても、
東の海は知多半島にさえぎられて、
とても千里の幅はない。
無理に無理を重ねても説明不能の「謎」が山積するばかりだ。
中国では3200年も昔の殷(イン)の時代に、
すでに十二支が使われていた。
日本人はエトといえば生まれ年を示す符号だとしか思っていないが、
それは方位をトーテム動物で表現した方角の名なのである。
その動物が十二種あることでおわかりのように、
それは時計の文字盤の数字と同じ間隔で方角を分割して示したもので、
単に東西南北だけでなく、
辰巳といえば南東のことといったふうに、
方位を科学的に細分して、動物名で表現したものである。
それから1500年後の中国人である帯方郡使が、
南と東を間違えたという発想そのものが、
余りにも無知で幼稚すぎるということは、重ねていうまでもないと思う。
この方位誤解の中でも最悪の例は「昔の人々が方角に無知だった証拠だ」と、
日本列島が南北逆になった地図
(『混一疆理(きょうり)歴代国都之図』1402年・朝鮮製)を
もち出した者たちだ。
だがそれは古代中国人の方位常識を知っている者には、
朝鮮人の地図作者と、
それを今ごろ提出した者たちがいかに無知かを立証するだけで、
帯方郡使が方向音痴だ。
という立証には全然役立たない。
帯方郡使らが方角に無知だったと立証するには、
郡使が書いた方位記事の欠陥を指摘する以外に、
立証方法はないということを、
はっきり認致しておいてほしい。
だがそれが仮にできたとしても、
これまで見てきた地理学上の数々の矛盾点についても、
それぞれの分野で理性的な反証を挙げて、
自説の正しさを何人にも理解、
納得させなければならない。
だがすでにみたように、
それは絶対に不可能で、
逆転できる余地は全くない。
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