2012年4月25日水曜日
古代中国人の地球測量科学の凄さ
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:16頁
《古代中国人の地球測量科学の凄さ》
「古代中国人の地球測量科学の凄さ」
魏代の中国人は高度に科学的な方位知識をもっていた。
ところがその知識はすでに紀元前12世紀を超える殷代に、
殷の首都(今の河南省安陽県・殷墟)と、
日本の茨城県稲敷郡とを結ぶ直線を、
正確に測量していた事実が完全に立証されている程のものなのである。
なぜそれがわかるかといえば、
この2点は正確に北緯36度線上に並んでいて、
その距離が2200kmきっかりある。
稲敷は殷墟の真東にある。
太陽の昇る所ともいうことになるが、
そこは「ヒタチの国」と呼ばれた。
なぜか常陸という字が当てられているが、
県内に日立市があるから、
やはり「日立ち=日が出発するところ」というのが語源なのだ。
それはいうまでもなく殷の王室からみて太陽が昇る東極という意味で、
稲敷が聖地だったのであり、稲敷という地名は、「殷(イナ)の儀式(シキ)場」を意味している。
しかも稲敷の福田貝塚から出土した縄文土器の人面注口器と、
殷墟から出土した青銅製の人面注口器(米国ワシントンのフリア美術館所蔵品)とは、
全く同じ信仰対象としての共通点を25以上も持つ。
測量だけに絞ってみても、当時の人々が、
海を超えて遥か彼方にある地点を2200kmきっかりに測量して首都と聖地を
置くことができたのだ。
だから千数百年後の魏人なら当然、
より一層高度な方位知識を持っていたのである。
(詳細は私(加治木義博)者『日本人のルーツ』参照)
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