2012年4月1日日曜日
ダイコクサマも海幸も魚の連邦の支配者
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録09:9~10頁
《ダイコクサマも海幸も魚の連邦の支配者》
「ダイコクサマも海幸も魚の連邦の支配者」
『隋書』の中に隋の使者・<裴世清>が記録した倭人の国名が
「ダイコク=俀国」と書かれているのは、
倭人がこの「大」を中国人向きにと、
漢音で「ダイ」と教えたために、
当時すでに発音が漢音と大きく変っていた<裴世清>にはそれが「大」のことだとわからず、
その「ダイ」という発音に合う文字「俀(だい)」を当て字したのだ、といった事情が読みとれる。
これで、<出雲神話>に登場する「大国主=オオクニヌシ=ダイコクサマ」とは
何者だったかもはっきりわかった。
鯛(タイ)をかかえた彼は、
やはり「倭国主=オオクニヌシ」だったのである。
こうわかってみると、<魚>を「ウオ」と発音したのは、
大隅が本国だった倭人・<卑弥呼>たちであり、
その勢力下にあった国や部族の名が、
連邦の<トーテム>だった
<魚>(うお)(厳密にいえば水棲動物)たちの名前としてつけられた。
ということが明確に理解できる。
しかしまだ、これを疑う人もあるかもしれない。
別の角度から卑弥呼政権をみてみよう。
誰もが知っている『海幸山幸』は、
海の支配者・海幸が山の支配者・山幸に負けて、
隼人族になったという物語りである。
これは<卑弥呼>が<狗奴国男王>との争いに敗れて、
その男王と<壹與の邪馬壹国>に政権を奪われた事件の童話的表現である。
どこからみても<卑弥呼政権>は<海幸>
すなわち海の支配者だから<トーテム>が<魚>なのは当然で、
神話という視点からみても、
卑弥呼時代の<倭国政権>が<魚の姓の生みの親>であることは疑う余地を残さない。
これで日本人が大量に<魚と共通の姓>を持っている理由は充分説明がついた。
これまで<卑弥呼政権>は<奈良の大和>にあったという主張が一部に残っていたが、
ご覧の通り、卑弥呼が君臨していた連邦全体が「海幸」連邦だった。
奈良県は大和と呼ばれた古代から、全然海のない山国だった。
その小さな山国の王が「海幸」などと呼ばれることは絶対にない。
『海幸・山幸』物語りの実体は、
はるかに大きな九州朝鮮半島全域の支配者・
<海幸政権>が、
<狗奴国男王のひきいる山幸軍>に政権を奪われた大動乱が、
中国政府を驚かせて記録させたほどの国際的大事件だったのであって、
当時、国をあげて争乱渦巻く多事多難の中国が、
遠く隔たった日本の本州の、
これまた一山村にすぎない奈良で起きた村長交代劇などを、
記録に加えることなど絶対にありえない。
奈良では『魏書倭人章』など残るはずがないのである。
そして『海幸・山幸』神話は、はっきりその事件が起こった地域を、
「日向」だったと指摘している。
それが大和で起こったなどとは書いていない。
もし大和説や畿内説が正しいと主張したいのなら
『海幸・山幸』神話は大和で起こった事件記録だという立証が必要である。
しかしそれは絶対に不可能である。
海そのものがないのだから……。
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