2012年3月31日土曜日

わかった「ウオ」という日本語の語源



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録09:7~8頁

 《わかった「ウオ」という日本語の語源
 「わかった「ウオ」という日本語の語源

 またこの結論から、「青の国」が大国だったからこそ、

 「オオ」が「大」を意味する日本語として定着したこともわかる。

 その東の青の国は「倭国」だったのだから、

 <倭国>は<新羅>や<高麗>よりも大きく、

 <クジラ>で表現される<百済>よりも大きかった。

 そのため<倭国>を意味する「オオ」は「大」の意味だけに使われて、

 <魚>の名前には転用されなかったのだとみると、

 「倭」の南中国音「ゥオー」も、

 またその日本訛りの「オオ」も、北中国音の「ウワイ」にも、

 その国名と共通する<魚>の名は、なくて当然だったこともわかる。

 そして<魚>そのものが「ウオ」と呼ばれているから、

 語源は、ほとんど同じ発音の南中国語=「倭=ゥオー」だったとみると、

 <魚>の「ウオ」という発音こそ「倭」だったのだと理解できる。 
 
 厳密に考えれば、<ゥオー>と<ウオ>は発音が違うが、

 発音は地域によってかなり変わる。

 外国語の発音やイントネーションを、

 そっくりに使えたと考えるほうがおかしい。

 鹿児島語なら長い発音や強いアクセントも、

 すべて短い発音に変えてしまうから、

 「ショウチュウ」は「ソツ」、

 「石灯籠=イシドウロウ」も「イヅロ」と大きく変わってしまう。

 <卑弥呼>のいた倭の首都大隅では、

 「ゥオー」は必然的に短く明瞭な「ウオ」に変化したはずである。

 <倭>は『魏書倭人章』

 七万戸の大屋に老若男女が同居していたとある<邪馬壹国>の前身だから、

 三千戸の<高句麗>とは比較にならない大国だった。

 卑弥呼当時は南九州の東を占め、

 <青の国>であると同時に連邦そのものを支配し代表する大国だったし、

 政変による移動後も<倭国>という国名が当時の日本を代表する政権だったことは、

 『魏書倭人章』から『新唐書』に至る中国の記録でも明らかである。

 間違いなく倭人五彩圏連邦の<宗主国>だったから、

 その国名は個々の魚の名としてではなく、

 当時水棲動物全体を意味した「魚」の総括名として、

 「ウオ=倭」が使われたのは、ごく当然で自然なことだったのである。

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