2012年3月9日金曜日

二重に実在した2つの女王国



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:11頁

 《二重に実在した2つの女王国
 「二重に実在した2つの女王国

 いったいなぜ?…こんなことになったのか?。

 それは陳寿が編集を誤ったからなのだ。

 では、なぜ?…陳寿はそんな過ちを犯したのか?。

 それは、この記事を誰が書いたのかと、

 分析して考えてみればわかる。

 その旁国の報告記事の筆者は、

 「その余の旁国は遠絶、詳細はわからない」と書いている。

 だとすれば、

 この旁国の記録者は伊都国から南へ行ったことのない梯儁だったことがわかる。

 なぜなら彼は伊都国で女王卑弥呼に会ったのだから、

 当然そこが女王国だし、

 彼は間違いなく伊都国に滞在しただけでそのまま帰ったし、

 卑弥呼が南の隼人へ遷都したのは彼の帰国後のことだからである。

 彼は旁国の詳細どころか、

 彼の帰国後に生まれた邪馬壹国も知らないのだから、

 彼に書けたのは、伊都国までだったはずである。

 ところが卑弥呼政権滅亡の前後に来た、

 もう一人の帯方郡使・張政のほうは「水行20日」などと、

 伊都国以南の投馬国と邪馬壹国とへの行程を書き、

 その国名までも「詳細に」書き、

 卑弥呼の大冢のサイズや、

 殉葬者の身分や百余人という人数まで「詳細に」記録しているのだから、

 張政にとっては伊都国以南も「遠絶でも、詳細不明でもない」。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿