2012年3月10日土曜日
4種類に分類できる女王国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:12頁
《4種類に分類できる女王国》
「4種類に分類できる女王国」
もうおわかりのように梯儁が書いた女王国と、
張政が来た当時の女王国は同じ場所にはなかった。
梯儁当時の女王国は、
女王に接見して魏帝からのプレゼントを手渡して任務を全うした彼の終着点、
すなわち伊都国だったから、
彼はわざわざそこが女王国だと書く必要もなかったが、
後で来た張政のほうは、
彼が新政権の名として新たに書き加える必要に迫られた「邪馬壹国」の地。
すなわち伊都国から
「南へ水行10日、陸行1月」の地点が、
今「女王の都する所」だと、
彼自身の手で明瞭に書いて報告する義務を負っていた。
いうまでもなく、
2人の帯方郡使は移動前の女王国と移動後の女王国との、
二つの位置をそれぞれの任務として記録し報告したのである。
さらに見落としてはいけないのは、
張政は卑弥呼の政権が消滅して、
新たに生まれた邪馬壹国を、
その国名と同時にその革命の前後の事件まで報告しいる。
だから彼の報告に出てくる女王国とは、
卑弥呼政権とは別の女王国。
壹與と位官の国だから、
梯儁が報告した伊都国の女王国でもない。
卑弥呼政権当時にも伊都国と隼人の二つの女王国があったし、
張政は敵対して興亡した2つの女王国を知っていた。
これを総合すれば女王国は地理的にも2つあったし、政治的にも2つあった。
だから1地点に固定した1政権の女王国を求めた過去の説は、
余りにも幼稚極まるというほかないのだ。
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