2012年3月6日火曜日
再起不能、全て不合理な『畿内説』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:7~8頁
《再起不能、全て不合理な『畿内説』》
「再起不能、全て不合理な『畿内説』」
北部九州説は伊都国以後の方角も、水行も、距離も
全然『魏書倭人章』に合わないので、
検討する価値すらない。
そこで未だに主張している者のある畿内説を取り上げて検算してみよう。
それには伊都国の問題がいちばん理解と評価に便利である。
畿内説では現在の和歌山県伊都郡が、伊都という文字が同じだから、
『魏書倭人章』の伊都国だということになるが、
ここもそれ以後の方角も、水行も、距離も全然『魏書倭人章』に合わない。
奈良は南どころか北にあり、水行どころか山また山に隔てられて
陸行すら困難な位置関係にある。
また定点である出発点の末盧国=佐賀県の松浦地方からみても、
指定された方角「東南」にはなく、
はるか東に当たるし、距離も500里ではなく、10000里も離れている。
また『魏書倭人章』は
「女王国は帯方郡から12000余里のところにある」とも記録している。
これを計算してみると、
帯方…拘邪韓…対馬…一大…末盧…伊都まで合計
7000 1000 1000 1000 500 10500
これを
12000里から引いた1500里のところに女王国はある。
畿内説というのはどんなに検討しても、
何ひとつ『魏書倭人章』の記録に合わない。
再起不能は決定的だ。
そんなものを侯補に挙げるだけでも余りにも非論理的で、
その知能指数を疑うほかない。
でも念のため仮に邪馬壹国を奈良だとして、
その北へ「水行十日 隆行一月」行った土地に、
伊都国に相当する土地があるかどうかみてみよう。
この距離ははぼ170km以上あるから約半分進めば若狭湾の海面に出てしまい、
伊都国は日本海にあることになるが、その辺りには島もない。
だから、さらにその北西に末盧国があり、
その北に壱岐と対馬に当たる島があるかどうかは、
地図を見さえすれば、いまだに唱える人間のいる『邪馬台国大和説や畿内説』が、
どれくらいバカげた無茶苦茶な~「学説?」か、子供でもよくわかるのである。
これだけ見ても畿内説は『魏書倭人章』とは何の関係もない勝手な説で、
『魏書倭人章』が読めない素人による空想作文に過ぎない。
とても学問とは認められない暴論である。
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