2012年3月16日金曜日
奴国(ノマ)=野間=野間人(ヤマト)=山門
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:18頁
《奴国(ノマ)=野間=野間人(ヤマト)=山門》
「奴国(ノマ)=野間=野間人(ヤマト)=山門」
しかし張政が特記した伊都国東南百里の奴国は、
「ノマ」の発音をそのまま残していない。
第二の野間国は消滅したのであろうか?。
そうではない、その位置には山門郡がある。
野間の野は「ヤ」の発音をもっている。
「野間人=ヤマト」という発音で、
いまもなお3世紀の記録の確かさを証明しつづけ、
さらに後世のヤマト朝廷誕生へと連続しているのである。
在来の『魏志倭人伝』関連の説は奴国などほとんど問題にしていなかったが、
その奴国はこれはど多くの史実を語る豊富な内容をもった重要な国だったのである。
本講座が無駄ではないことを証明する一例として、
よく心にとめておいて戴きたい。
それによってまた、
狗奴国が種子ガ島と屋久島の2島以南に分布する
南西諸島を指すことも充分理解できた。
そして旁国が散在する地域は、種子ガ島以北で、
伊都国ブロック以南の、
九州本土の大半を占めることも疑問の余地がなくなった。
すると大きな疑問だった
「南九州空白域の謎」は完全に消滅する。
空白どころか、そここそ連邦の重要地域だったのだ。
旁国候補地は、
梯儁が記録した伊都国までの経由地を除いた残りの九州全土に
求めなければならない。
それが卑弥呼政権時代の倭人連邦の全貌だったのである。
旁国は梯儁にとっては「遠絶 不詳」の小国に過ぎなかったが、
私たちにとっては、
当時の連邦の実態を知る上で、
何ものにも優る充実した手掛かりになる
「国名記録」だったのである。
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