2012年4月11日水曜日
縄文人が使っていた日本語
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録09:29~30頁
《縄文人が使っていた日本語》
「縄文人が使っていた日本語」
また、大学講義録09:24頁でご覧にいれた
蘇我 サガス 探す。
蒙古 モングル 潜る。
永良部 エラブ 選ぶ…
といった蘇我氏一族の姓が、
<業務分担の職業名>であった事実は、
それが間違いなく古代日本語であり、
間違いなく3000年以上前から使われていた
<縄文語>なのだということを見過ごしてはいけない。
もちろんそれはカリエン人たちが使っていた言葉だったのだから、
<カルデア語>と同じ語族だったに違いないが、
それは今では誰がみても日本語である。
沖縄や鹿児島でしか通じないものもあるが、
それが日本語であることを疑うことはできない。
彼等は<貨幣の生産販売>を事業化していたのだから<貨幣経済>の担い手だった。
当然のことだが、彼らは土器なんか自分たちの手で生産する必要がなかった。
行く先々の地元の人たちが作った土器を、
その<貝貨>で買って使えばよかったからである。
同じ縄文人ではあっても、<縄文土器>を作る必要はなかった。
このことは、考古学を考える上で非常に重要なことである。
おなじ部族でも、必ず同じ土器を使うとは限定できないし、
同じ土器が出土しても同じ部族の証拠ではない。
出土品によって部族を限定できると思うのは、
すべて<自給経済>だったと信じる無知の産物で、根本的に間違っている。
土器や器具は幾らでも売買、交換ができる。
<鏡>や<他の銅器類>や<鉄器>などでも同じことである。
またその所有者もどんどん移動して国土を侵略してもいくし、
また逆に侵略者に敗北して遠い他国へ逃げるのも珍しくなかった時代だ。
そうしたことは
『魏書倭人章』にも
『宋書』の「倭の五王」などにも、
明確に書いてある事実である。
支配勢力が一か所に固定しているほうが難しい時代が連続していたことは、
子供でも知っている事実である。
そんな時代の遺物を見て、
「魏の年代が彫ってある鏡が出土したから、
それは<卑弥呼>が魏の皇帝にもらった鏡であることは疑いなく、
そこが邪馬台国であることは決定的だ」
などと思い込んで説明する人や
マスコミ記者がいまだにいるが、
<鏡>は幾らでも持ち運びができるし、
放浪しながら生活していた<流しの工人>が、
よそ者として警戒されながら作り歩くのが
普通の今もインドに見る状態や、
販売して歩く商人がいて、
注文にしたがって幾らでも
注文どおりにニセ物が作れた時代だったことを考えもせずに、
出土した鏡に彫られた文字が、
その土地が都だった証拠だと主張するのは余りにも無考えで、
当時の実情を知らな過ぎるし、
学問に対する不真面目、無責任さがむき出しで、
日本の学界に泥を塗ること甚だしい。
こんなことは今はいいが、
やがて洗いざらい批判の対象になる時期を迎えるのである。
私たちも発表には慎重に、
検討には万全を心がける必要があるという他山の石である。
私たちは小さな一言(ひとこと)にも徹底した検討と研磨を心がけて、
決してそんな恥を後に残してはいけないと思う。
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