2012年4月4日水曜日
山幸の見つけた釣針と赤女の真相
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録09:15~17頁
《山幸の見つけた釣針と赤女の真相》
「山幸の見つけた釣針と赤女の真相」
この<壹與>の名もまた<与那国>の名乗りと深い関係がある。
それは<壹與>という一当て字は沖縄語なら「イユ」と読むからである。
この<イユ>とは沖縄では<魚>のことである。
ここまでわかると海幸・山幸の謎がまた一つ解ける。
山幸が求めて海神国まで行ったのは、
魚にとられた「針」を手にいれるためだった。
それは海神宮で見つかった。
針が喉に刺さって苦しんでいたのは「赤女」だった。
この<赤女>とは
<タイ>のことだとか、<オコゼ>だとか、いろいろな説があった。
説は一致しないが、喉を釣針に刺されて苦しむのは魚類の宿命だから、
<赤女>が魚であることには異論はなかった。
とすれば、<壹與>が「イユ=魚」という名乗りをもっていたことで、
少なくとも第一開門は突破できる。
では<赤>とは何であろう?。
それは先にお話しした<五彩圏の赤>である。
鹿児島以南の海の世界、そこが「赤の国」だったことはいうまでもない。
<赤>もまた、
そこの出身で女王でもある<壹與>の肩書き、
名乗りの一つであることは間違いない。
こうわかると、女は女王の省略とみていい。
「魚=イユ=壹與」
「赤=赤の国」
「女=女王」で、すべてぴったりである。
では「針」とは何だろう?。
『魏書倭人章』には女王国連邦の旁国の名が挙げられているが、
その中に「巴利国」というのがある。
これは正確には「パリ国」だが、
日本の古語では<パ>を<ハ>と発音するものが多いから、
これがハリだったとするのが正しい。
では<巴利国>とはどんな国だったのか?。
いま<イオニヤ>を<ヨナ>と発音したのはパーリ語だとお話ししたが、
古代日本に、
なぜそんな言語があったのだろう?と疑問に思われたと思う。
パーリ語というのは古代インドで使われていた言葉で、
お繹迦(シヤカ)様たちが使っていたし、
仏教では有名な<マガダ国>の<アシャカ王>たちも使っていたとみえて、
<古いお経>は皆これで書いてある。
<アシャカ王>は仏教を世界に広めて平和な世界を作ろうと考え、
王族や皇族を団長に任命して、
四方へ大布教団を派遣した。
仏教ではその団長を長老と呼ぶが、
それは次の通りだ。
方角 目標国名 長老名
東 スパンナプーミ ソナカ ウッタラ
北 カスミーラとガンドハーラ マッジャンチカ
北 ヒマバンタパデサ ミッジマ
西北 ヤナカ-ロカ マハーラッキタ
東南 バナバシ リッキタ
東南 マヒサカマンダラ マハーデバ
南 タンパパンニディバ マヒンダ ウッチヤ サムバラ バッダサーラ
西 アパランタカ ヨナカ-ダンアラッキタ
西 マハー-ラッタ マハー-ダンマラッキタ
以上が宣布団の構成だが、長老名が複数になっているのは、
第一次、第二次と、宣布団の派遣がくりかえされたことを示している。
発見された<仏教遺跡>や<古代文献>、<仏教思想>の分布などによって、
それらの人々がどこまで行ったかが次第に明かになりつつある。
その内、日本列島まで来た<ソナカ宣布団>のコースと歴史については、
ほとんどを明かにした私(加治木義博)の研究が、世界で最も進んでいるが、
はるかに西へ進んだ宣布団が
<アショカ王>の祖母の祖国ギリシャの<マケドニヤ>から、
<シリヤ>、<シレーネ>、エジプトの首都・<アレクサンドリヤ>などへ到着したことは、
西欧の学者も次第に確認してきて、
西欧の世界史の教科書にも見られるようになってきた。
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿