2012年4月22日日曜日
夏后国の実在とカリエン人
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:13頁
《夏后国の実在とカリエン人》
「夏后国の実在とカリエン人」
倭人の中核をカリエン人が占めていた事実は、
こうして疑う余地がないが、
実は倭人章は、
さらにそれ以上に凄い史実を、エピソードめいた形でさらりと語っている。
それはこれまで陳寿の想像説と誤解されていたから、
大した話題にもならなかったが、
当時の中国人の知識の凄さを知ってから見直すと、
この一節は中国建国当時の人類学上の疑問を一掃する巨大な指摘だっためである。
そしてその真相は我々より、
むしろ中国人にとって、激しいショックを与えるものになる。
原文は次の通り。
「夏后少康之子 封 於 会稽 断髪 文身 以 避 蛟龍之害
今 倭水人 好 沈没 捕 魚蛤 文身 亦以 厭 大魚 水禽」
夏王朝は戦後に遺跡が次々に見つかるまでは、
伝説上の王朝だとされてきたが、
『史記』その他には、かなり詳しくその歴史が記録されている。
それによると、
その国は「夏后」という国名で、
第3代王の太康のとき東夷に攻められて敗れ、
少康の父・相は同族の間を次々逃げ回ったが遂に殺された。
その妻は逃げて生家に舟ったあと出産して少康を生む。
少康は40年後に夏を再興して第6代の王になり、
王子を夏后国の建国者である
初代・禹(う)王の墓のある会稽の王に封じたところ、
新王は頭髪を短く刈り、入れ墨をした。
それは潜水して漁をするとき、
海の怪物から身を守るという習俗だが、
倭人も同じ考えと習俗をもっている。
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