2012年4月14日土曜日
魏志倭人伝『ギシワジンデン』という文献は実在しない
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:3~4頁
『魏志倭人伝『ギシワジンデン』という文献は実在しない』
「魏志倭人伝『ギシワジンデン』という文献は実在しない」
漢文は、部分だけを読んだだけで、
わかったつもりでいては駄目で、全体を読んだ上で、
各部分に省略されている言葉を加えると、
筆者がその部分でいいたいことが了解できるが、
それにさらに、当時の人なら書かなくても誰でも知っているから、
わざわざ書く必要のなかった「常識」を、
加えて読む必要がある場合もある。
これだけのことをしなければ、
その筆者が伝えたい内容は把握できない。
これが漢文を読む最小限の心得である。
今回は、
これまで『謎』とされてきたものが、
少しも謎などではないという事実を、
すでに馴染みの深い『魏志倭人伝』を題材に使って、
実例でご覧にいれようと思うが、
そのためには、従来『魏志倭人伝』と呼ばれてきたこの文献が、
どういう筆者によって書かれた、どういう性質の文献なのか、面倒がらずに、
それから検討し直さなければならない。
まず『魏志倭人伝』という、その名が適当か、考える必要がある。
それはこの5字の中にだけでも、
すでに多くの誤りを含んでいるからである。
あなたはすでに、「倭」が「ワ」でなく、
「ウワイ」が正しいことをよくご存じだが、
残る「魏」も正しくは「ギゥェイ」だから、
仮にこの5字を使い続けるなら、
『ギゥェイシ・ウワイジン・デン」としか発音できないことは、
すぐご理解戴けたと思う。
しかし
『魏志』とは、
実際には『三国志』という文献も『魏志』という文献もないのに、
後世の中国の出版者が、
勝手に陳寿の著書3冊を合わせて『三国志』としたため、
『魏志』
『呉志』
『蜀志』などという、
全く別の書名が発生したものにすぎない。
そんなことはまるで知らず、
また同じ文字でも漢字の発音が中国中央政権の興亡によって、
時代によって大きく変化したことも知らなかった
日本の江戸時代人=元禄ごろの
松下見林や新井白石らがそれを
『魏志(ぎし)』という
文献だと信じて使ったのだが、
それに加えて
18世紀末の本居宣長らが、
彼らの浅い知識だけで安易につけて呼んだ
『倭人伝わじんでん』という名も、
実態は素人がつけた仮名(かめい)か仇名(あだな)にすぎないものである。
このあたりではっきり是正しないと、
やがては無学を宣伝する標識になりかねない。
この通称『魏志倭人伝』は、
三国時代には魏の仇敵国「蜀」の役人だったが「晋」の中国統一後、
その晋の著作郎(歴史編纂係員)になった陳寿が、
280年前後に古文献を集めて編集し『魏書』と名づけた本の中の
「巻三十」「東夷」の最後にある小さな一章である。
この分類単位としての「伝」は、
その「東夷」という集団の見出しにつけられた、
人間でいえば「姓」にあたるものである。
東夷章中の小部分にすぎない「倭人」も「伝」と呼んだのでは
「東夷伝・倭人伝」という奇妙な併記になって、
姓と名として区別したものが、
何のことか?さっばりわからなくなっている。
これが哀れな現状なのである。
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