2014年12月9日火曜日

千代田区・港区(3)


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》江戸の古代を解明する
     ―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―

 千代田区・港区(3)

 六本木町:ろっぽんぎちょう(港区)

  【近代】明治2年~昭和42年の町名。

  ~松の木が6本あったことから付けられた龍土六本木町・飯倉六本木町 
  の名称を継承。

 龍土:りゅうど(港区)

  元海に面した芝愛宕西久保辺りに漁師が多く居住した猟人(りょうど)村
 
  があったが、元和年間猟人村が御料地となり、

  麻布領内に代地を拝領し移住した際

  移住先の村名を龍土と改めたと伝える(新編武蔵)。

 麻布:あざぶ(港区)

  阿佐布(役帳)、安座部(江戸名所記)、浅布(江戸雀)、

  浅生、麻生(再校砂子)とも書く。

  白金台北方の台上と周辺に位置し、

  由来は

  麻が生えていたから麻生、

  麻布を生産したため、

  浅茅生が浅生となったという説などがある

  (砂子・新編江戸志・温故名跡志など)。

  「麻布」の初出は元禄3年(1690)の「江戸図鑑網目」であるが、

  「書上」は正徳3年(1713)頃麻布と書き換えたという。

  【中世】戦国期にみえる地名。豊島郡白金郷に属す。

  初見は永禄年間(1558~70)の「役帳」で、

  小田原北条氏の家臣御馬廻衆の狩野大膳亮の

  所領「五拾三貫弐百文 江戸阿佐布」とみえ、

  他に江戸衆の島津孫四郎

  「三拾八貫百五拾文 飯倉内桜田 善福寺分」とある。

  【近世】阿佐布村 江戸初期の村名。

 渋谷区:しぶやく

  金王社と渋谷氏、渋谷区3丁目の金王(こんのう)八幡社は

  渋谷八幡宮とも別称され、寛治6年(1092)源義家が、

  後三年の役を平定して凱旋の途上に勧請したという

  (金王八幡神社社記)。

  金王八幡と称するのは、

  武蔵渋谷氏の祖と伝える渋谷金王丸の氏神であったところに

  由来し(文政寺社書上)、

  同社は金王丸の館址の遺構の一部という(江戸砂子)。

  金王八幡宮の別当寺東福寺の梵鐘の銘によれば、

  平安末期にはこの地域に谷盛荘(やもりのしょう)があり、

  その7郷の一つに渋谷郷がみえるが明らかではない。

 谷盛荘:やもりのしょう(渋谷区)

  【近世】「新編武蔵」にみえる荘名。荏原郡渋谷郷のうち。

  上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村、渋谷宮盛町在方、

  上豊沢村、中豊沢村、下豊沢村、隠田(おんでん)村を

  含む(新編武蔵)。

  中世以来、矢盛七郷といわれ、

  渋谷氏が支配した土地である(東京都の歴史)。

  荘内には四谷上水、三田用水が貫流、今の渋谷区東部一帯を占める。


 芝:芝(港区)

  柴とも書く(武文)。

  東京湾に臨み、海岸に沿って東海道が通り、

  中世から芝浦と総称されていた。

  地名の由来は古くから芝の生えた地であったことによる

  という説がある(地名辞書)。

  永享6年(1434)の古文書に芝原とみえ、

  文明年間(1469~87)の「平安紀行」に、芝という所に過ぐるとて

  「つゆしげき道のしばふをふみちらし駒にまかする明くれの宝」、

  「廻国雑記」には

  「芝の浦といえる所にいたりければ、

   塩屋の煙うち靡きてものさびしきに塩木 運ぶ船どもを見て、

   やりぬよりもしほの煙名にぞたつ舟にこりつむ芝の浦人」

  と記している。

  中世では江戸湾の重要な港の一つであった。



  【中世】柴村 戦国期にみえる郷村名。荏原郡に属す。

  永禄年間(1558~70)の役帳には見えず、

  天文23年7月12日、小田原北条氏は虎印判状をもって、

  柴金曽木(しばかなすぎ)の船持中に宛てて、

  舟方条目を出し、船の売買を禁じ、~。

 三田:みた(港区、目黒区)

  御田、箕多、美田、美多、弥陀などとも書く。

  目黒川河流の北東岸に位置する。

  地名の由来は、朝廷の直轄領としての屯倉説や、

  伊勢神宮の御田としての神田説、

  一般に公田を御田というとする公田説などがある。

  古代の荏原郡9郷の1(和名類聚抄)。

  【中世】三田郷、戦国期にみえる郷村名。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976


 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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