2013年1月31日木曜日
曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:7頁
《曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」》
「曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」」
中国では帝釈天やガルーダ(カローラ・金翅鳥)などは
『大方広(ほうこう)仏華厳(けごん)経』=
略称は華厳経または雑華(ざうげ)経の訳にあるが、
それは5世紀の仏陀跋陀羅(ブッダバラダ)訳が最初で、
それ以前には知られていない。
図の『十二天曼荼羅』は、
その『華厳経』の中に書かれている天部の神名の梵字(ボンじ)の頭文字だけ使って、
その方位への配置を略図化したものである。
天部が初めて中国に伝わったのは北涼の玄始年間だから5世紀で、
卑弥呼時代の国名にみる帝釈天は、
中国経由で入ってきたものではない。
さらに深く調べるとより重要な貴重なものが、
『密教』の「曼荼羅」の中に見つかる。
曼荼羅は弘法大師空海が中国で教わって我が国に伝えた平安時代以後のものだが、
現存する『十二天曼荼羅』は、図のように実に不思議なことになっている。
卑弥呼当時の国名と全く同じに、帝釈天と多聞天だけがあるのだ。
上・梵天 :ボラ
下・地天 :ヒリ
日天 :ア
月天 :シャ
東 ・帝釈天 :イー
東南・火天 :ア
南 ・焔摩天 :エン
西南・羅刹天 :ニリ
西 ・水天 :パ
西北・風天 :パー
北 ・多聞天 :ペイ
東北・伊舎那天:イ
「十二天曼荼羅」
不動曼荼羅の場合は、五大明王が中央部へ置かれ、
十二天はそのまま外部の方向へと開き、広がります。
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