2013年1月19日土曜日
タイ語やミャンマー語の国名もある
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録19:27頁
《タイ語やミャンマー語の国名もある》
「タイ語やミャンマー語の国名もある」
「都支」
to tieg はパーリ語の thuti よりも、
タイ語の to chieng のほうが音価が細かく一致しているし、
その意味もパーリ語の「賞賛」という国名はないが、
タイ語の勇ましく美しい長老が支配する国というのは、
あっても不思議ではない。
タイ語が使われていた遺物も日本語の中にかなりあり、
沖縄の蒸留酒・泡盛もタイから直接入った文化である。
「弥奴」
これは宮之浦や宮之城の「宮之」だから、
パーリ語の miyya nu のほうがピッタリだ。
意味も「死を悟った知者の国」で、
仏弟子の倭人の国にふさわしい。
「好古都」
これはモルッカ群島語の kokotu がよく合っている。
そこからやってきていた先住民の国があってもおかしくない。
黒という国名は、
古代ギリシャの北端の国がクロアチアとして今も残り、
高句麗が黒の国であったこともわかっていて不思義ではないが、
この kok~という発音が黒(コク)を意味するのは、
漢音と同じであることも偶然とは考えにくい。
「不呼」
これはミャンマー語のボゴダのほうが有力。
ミャンマーはソナカ布教団が
最初に目標にした第一の「金地国=スヴァンナプーミー」だった。
日本列島の倭国の遺跡に残る古墳もミャンマーに残るボゴダ群も皆、
インドのサーンチーに残る釋迦の仏塔の子孫である。
不呼はヒュウガ=日向の語源で、
そこには大量の古墳群がある。
そこはまさにボゴダの国なのだ。
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