2013年1月16日水曜日

大移住発展の跡が顕著なマッラなど



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:24頁

 《大移住発展の跡が顕著なマッラなど
 「大移住発展の跡が顕著なマッラなど

 「末盧」 

 マッラも古代16大国のうちの1つ。

 これは鹿児島語化すると r が d になり「マッダ」になるが、

 松田という姓はまさにその通りの発音をするから、

 マガダが「曲田」姓になっているのと、

 お互いにパーリ語の子孫であると証明し合っている。

 このマッラは現在のインド北部にあるマトウラで、

 2世紀には仏教の一大聖地であった。

 また中世インド南部に栄えたバーンディヤ王国の首都の名もマヅゥラ。

 その北東400kmに近世の大貿易港マドラスがあり、

 インドネシアにも植民地化したマヅゥラ島がジャワにあるが、

 それらの発音はむしろ末盧国の後世の名「松浦」に近いから、

 末盧がパーリ語の子孫である確率は非常に高い。

 「伊都」

 イトは、「ここから・出発点」といったパーリ語である。

 そこは『魏書倭人章』では、まさにその通りの出発点である。

 これもパーリ語を語源とみていい。

 「不弥」

 プミは「吹く」という意味しかないから、余り必然性がない。

 これはコジつけてみても仕方がない。

 プラ・ミッヤも音が余り合わないが

 「死の都または城」という名は仏教的で現代なら

 「涅槃の都」とでもいうところだから挙げておいた。

 「投馬」

 ツマは漢魏音にぴったり完全に合い、

 自由とか自我という名も、

 卑弥呼の仏教国群に入っていなかった国らしくていい。

 これはどうみても位宮らのシンドゥ派である。

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