2015年11月7日土曜日

≪アズミ族の正体≫インド古代史・職業組合


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫インド古代史・職業組合

 課題:古代にローマ帝国は極東の絹を熱望した
    ―古代世界における海洋交易の実相―

 出典:「インド古代史」中村 元
     352~353頁
     第二節 職業組合
 …略…

 分離的定住の傾向は、

 インドにおけるほうがはるかに有力であったと言われている。

 右のような職業の区別と、

 バラモン教の定める四姓の身分的区別とは

 必ずしも一致していなかった。

 すでに述べたように、

 当時は四姓の制度が崩れかけていた。

 たとえばある大工村のうちには、

 「バラモンなる大工」(brahmanavaddhaki)の

 いたことも伝えられている。

 バラモンで農耕に従事していた人々もあった。

 組合の定員数などは不明であるが、

 一〇〇〇家族の大工の住むある村では

 それぞれ五〇〇家族に対して一人の組合長がいて、

 つまりその村には二人の組合長が存在していた。

 「組合の種類」

 ギルドの数ないし種類ははっきり知られていない。

 ある記録によると、ギルドの数は一八あったという。

 『(大工は)(vaddhaki)、

   鍛冶屋(kammara)、

   皮革工(cammakara)、

   塗工(cittakara)などの種々の技術(sippa)に熟達した

     一八の組合(seni)をひき連れ、斧・手斧・鍬など

   多くの道具をたずえさせて、大軍にとり捲かれて

     都城(nagara=Mithila)から出て行った。』
 と物語に記されている。

 ここでは一八のギルドのうち四つが挙げられているだけである。

 その一八が何であったかは不明であるが

 リス・デヴィッズは次のようなものが

 そのうちに含まれてたのであろうと推定している。

 (一)  大工

 (二)  金属工

 (三)  石工

 (四)  織工

 (五)  皮革工

 (六)  陶工

 (七)  象牙工

 (八)  染色工

 (九)  宝石工

 (十)  漁夫

 (十一) 屠者

 (十二) 猟師(ただしこれはギルドを形成していなかったかも知れぬ。)

 (十三) 料理人ならびに菓子商

 (十四) 理髪師および髪結い

 (十五) 花売り

 (十六) 水夫
 
 (十七) 芦を編む人かつ籠造り

 (十八) 絵師

 なおリス・デヴィッズ夫人は、

 ギルドを構成していたことの明白な四つの職業の他に、

 当時次のような諸職業のあったことを述べている。

 すなわち、動物を殺しさその皮肉に加工する職業は

 社会的に軽蔑されていた。

 猟師・罠掛人・漁師・屠殺者・鞣皮工等である。

 社会的に蔑視されている職業としては、

 その外に

 蛇使い・俳優・踊り子・音楽師・蘭織工・車製造人等があり、

 そのうちの最後の二つは、

 原住民の世襲的職業であったから、

 特に蔑視されたのであろう。

 むしろ尊敬された名誉ある職業としては、

 象牙工・織物師・菓子製造人・宝石貴金属細工人・

 弓矢製造者・陶工・花環つくり・理髪業でであった。

 またそれら手工業の他に

 航河海業者、貿易業者、あるいは商人があり、

 それに関連して隊商護衛者または陸路案内人もいた。

 かれらの間に統領(jetthaka)のいたことは言及されているが、

 それ以上の組織構成に関しては何も知られていない、と。

 これらの職業についてはすでに紹介したとおりである。

 特殊な職業のものが蔑視されていたことは、

 後代においても同様であった。

 スルタン・マフムードに従ってインドに来た

 大学者アルベルーニー(Alberuni九七三~一○四八)は、

 インドの四つの種姓が

 ペルジアの四つの身分

 (貴族・僧侶・学者・労働者)と

 比較されうるということを述べているが、

 インドの庶民(ヴァイジャ)と最下の隷民(ジュードラ)の間に、

 実際上区別はないが、

 しかし隷民のうちには階級外のもの(outcast)、

 革職人、猟師、漁夫、織工、楽師、刑吏、道路掃除人を

 含めているという。

 やや後代になって、 海外貿易の盛んな時代になると、

 貿易商人は貿易組合(sabha) を構成していた。

 この組合に加入するには金銭の投資が必要であり、

 それによって船を買ったり、

 必要な資具をととのえたりした。

 この組合員の間では、

 カーストの差別はまったく無視されていた。

 ともかく手工業者の間では種々の職業が分化し、

 しかもそれが地域的に分かれて定在し、

 各職業が世襲であり、

 同業者の間に「長」が存在していたのであるから、

 ギルドのごとき組織の存在していたごとは疑いない。

 それは多くの点で

 西洋中世の Innung に比せられるべきものである。

 ただインドでは手工業者の社会的身分は低かった。

 かれらは場所的に他の一般住民から離れて別に住んでいて、

 きわめて早い時代からカーストに似た相貌を呈していた。

 資産者(gahapati)の階級は、

 一般の手工業者とは区別された

 一段上のものと考えられていたようである。

 つまり全体としては手エ業者の地位が低く、

 その組合の勢カは弱かった。

 …略…

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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