2014年3月7日金曜日
独立国「新羅」誕生は飛鳥時代になってから
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録33:19頁
それを新羅側からみると、
金春秋の作戦はすべて効を奏して、
倭国政権の首脳は殺され、
豪族たちは東国へ逃亡し、
斉明天皇は捕虜になって福岡へ護送されて朝倉の宮で狂死した。
金春秋は7年間の空白のあと天智天皇として君臨した。
ところが彼が死んだあと、
天武天皇の再革命に遭(あ)って折角の新日本=大津政権がつぶれてしまった。
これに激怒したが巻き返しに失敗した半島の新羅王は、
完全に天武天皇の日本(実は新生・倭国)と分離して独立してしまった。
新羅という独立国が生まれたのは飛鳥時代なのである。
それまではどこから見ても倭国の地方自治体にすぎなかった。
それは『宋書』の倭の五王などにみる名乗りが事実だと裏書きしている。
その小国名が一見、独立国風に見えるのは、
天皇たちがその権勢を強大に見せようとした謀略であって、
その実態は地方自治体だったのだ。
だが新羅は列島政権から離脱したあとも、
しばらくは再び統一政権を握ることを夢みていた。
そのため軍備を拡張し唐の兵力を借りて半島に残る倭国勢力を一掃した。
これが新羅の半島統一である。
『三国史記』の「地理」をみると、
地名が大量に変えられて、
一々(いちいち)「景徳王が改名した」と書かれ、
高句麗と百済の地名にも「新羅が改名した」と書かれている。
こんな例は『続(しょく)日本紀』和銅6年の官命以外には世界でも類をみない。
一体?何ごとがあったのだろう?。
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