2014年3月15日土曜日
任那(みまな)の実在と、秦韓=辰韓という証明
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録33:27頁
また新羅独立以前の半島が、
政治的には列島の一部分であったことが確認できたことは、
さらに私たちの古代常識を正しく拡大する。
それは何よりもまず倭の五王の名乗りの真相を、
在来の曖昧(あいまい)なものから飛躍的に正しいものにしてくれる。
「七国諸軍事」というのは、
実際は一国の軍事権を撮っているということで当然のことであり、
従来は、
これを誇張だと説明する者がいたが、
それは真相を知らない者のでたらめな想像にすぎないと、
はっきり判定することができる。
また七国中の任那(みまな)は、
在来は架空説をとなえる者まであるほど、
影の薄い存在だったが、事実がわかってみると、
地方自治体の百済・新羅を統括する
倭国政府の出先機関があるのは当然のことで、
『日本書紀』は少しもウソは書いていない。
これは「任那日本府」という名も新羅の立場からありうることで、
これを疑う者は自分で無知を告白していることになる。
では残る秦韓と辰韓とは何だったのだろう?。
答えは.『魏書・韓章』の「辰韓」の部分にある。
「耆老(きろう)は、昔、秦の苦役を逃れて韓の地にやってきた我々を、
馬韓は東部に住まわせてくれたのだと、その言い伝えを語った。
だからその言葉は馬韓語ではなく、国を邦、人を徒、賊を冠(こう)などという。
これは秦の言葉に似るから彼らを秦韓と呼ぶ者があるのだ」
《任那(みまな)の実在と、秦韓=辰韓という証明》
「任那(みまな)の実在と、秦韓=辰韓という証明」
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《参考:年表・資料》
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