2014年3月20日木曜日
興味尽きない「言語復原史学」の神髄とは
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録33:32頁
以上の例でよくおわかり戴いたと思うが、
『魏書倭人章』の検討は
『魏書倭人章』の文章だけを訳して済むようなものではない。
例えば壹與とはどんな人物なのか、
彼女が始祖王とされている新羅とはどんな国だったかは、
こうしてシンハラの歴史や、
8世紀の新羅景徳王の感情や行動まで知り尽くしていて、
初めて全貌を知ることができるのである。
よく「言語復原史学とは?」と尋ねられるが、
それには、こうした実例まで挙げてお話ししなければ、
本当におわかり戴けるものではない。
だからこそ本講をご勉強載いたのである。
しかしその原則は難しいものではない。
少しでも関連が見つかれば、それをどこまでも、どこまでも追及していく、
そして景徳王の人間としての内部まで観察すれば、何があったか、
史実が浮かび上がって、新羅とはどんなものだったかが正しく見えてくるのである。
「言語復原史学とは?」と質問をお受けになる機会が多くなると思うので、
その時には、この景徳王の例をお話し戴くといいと思って、
本講の締(し)め括(くく)りに活用してみた。
これと同じものは卑弥呼や位宮たちをめぐっても、まだ大量にある。
今度は貴方が次々に発掘し、それらを明かにしていって戴きたい。
それは将棋や推理小説やサスペンス映画のような、
簿っペらな知的遊戯には比べられない。
高い知性をもつものにとって、永遠に興味が尽きることのない、
人類だけがなし得る、価値ある最高の仕事の1つだと信じている。
《興味尽きない「言語復原史学」の神髄とは》
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