2014年2月4日火曜日
「邪魔」の一語がもつ重要牲
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録32:18頁
また奴国の野間→山門→山国という変貌のコースを考えると、
山門が生まれたのは、せい一杯早く見積もっても4世紀で、
それが大山祇として四国東部まで到達したのが仁徳天皇朝、
奈良に入ったのは雄略天皇が最初なのだから、
それ以前に奈良に「邪馬」が入り
「邪馬臺国」と呼ばれることは絶対にない。
しかも7世紀までは「ジャマ」と発音されていたのである。
語源が邪馬なら
山門はジャマト、
山国もジャマ国で、
大山祇もオオジャマツミと発音されていたのだから、
今も使う「大邪魔様」という言葉はその遺物だということになる。
大山祇(ウサンギ)は「ウサギ」で仁徳天皇の大雀もウサギ、
その領地も阿波(オオ)・讃岐(サザキ)=大雀でウサギ。
彼が武力で「東・55か国」を征服したのは史実である。
だが原住民にとっては「大邪魔者=大山抵」だったことも理解できる。
この「邪魔」を駄洒落(だじゃれ)と笑ってお終いにしてはならない。
それはシラミやアブやヒルと同じく、
侵略者に対する蔑称だったのであって、
歴史、ことに言語史の重要な証人たちだからだ。
それは倭の五王が残した貴重な歴史遺物なのである。
なぜなら仮に五王たちが「ヤマ」と発音されていたのなら、
お邪魔は「オヤマ」、
邪魔者は「ヤマモノ」として残っているはずだ。
「ジャマ」が使われているのは、
まだ隋等音以前の7世紀の政権交替期に合い、
また『延喜式』にみる仁徳系無視にも、見事に合う。
《「邪魔」の一語がもつ重要牲》
「「邪魔」の一語がもつ重要牲」
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