2014年2月19日水曜日
種子島「山」字遺物と壹與たちの関係は?
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録33:3頁
大学講義録32の30頁で触れた南種子・広田海岸に
「山」字とギリシャ文字を彫った遺物を残した人々は、
一体どんな人たちだったのであろう?。
また卑弥呼や壹與との関係は……?。
私たちは垂仁天皇と狭穂姫の悲劇が、
種子島で起こった事件だったことをよく知っている。
その理由は沢山あるが、
「狭い」はアイヌ語の「タンネ」で、
細長い島の形と島名によく一致していて、
語源になっていることを繰り返し確認してきたから、
疑いの余地はない。
この「狭」の字を名乗りにもつ重要な女神がもう一人いる。
それは天照大神と素戔鳴の尊の
「誓約(うけひ)」で生まれた3人の女神の一人、
狭依(サヨリ)昆売の命である。
この名乗りの、もう一つの文字「依」も、
豊玉姫が山幸の子を生んだとき、
捨てた子供・ウカヤフキアエズの尊を育てて、
後に結婚した豊玉姫の妹・玉依(ヨリ)姫がもっている。
私たちは名乗りの文字が、領土や地位、職掌を
表現している重要な史料であることを、
これまでイヤというほど実例で知っているから、
同じ種子島の女神が同じ「依」のつく名をもっていれば、
それは近縁か、あるいは同一人であるとすぐわかる。
狭=タンネ、
玉=タマ。
この二つの字はどちらも
「タン=種子・丹後・淡(タン)路のタン」という発音を
写した当て字だとみると同一人の可能性が高い。
次はその行動と役割を比較してみよう。
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「種子島「山」字遺物と壹與たちの関係は?」
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