2014年2月18日火曜日

想像を超える国政の歴史距離の近さ


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:32頁

 ドイツ語では心をSinn、

 「そうー」をSo、

 習慣をSitteと書く。
 
 習慣は一番よく「知って」いるものである。

 言はSagen、

 ズルイはschlau、

 城はSchluβ、

 痛み・しみるはSchmerz。

 確かな・しっかりはsicber、

 狭いはschmal、狭いとは壁などが「せまる」ことである。

 こうして「S」で始まるものだけ思い浮かべても、

 こんなに日本語と共通した言葉がある。

 姓や伝説に偶然似たものがあるという程度ではなく、

 またそれがなぜかも前記の遵り、

 人々が、いつ、どうして交流し、

 混じりあったか、

 歴史が鮮明にわかっているので不思議ではない。

 私の幼時のピアノ教師はドイツ系の人で、

 私がうまく弾くと「So…so」と声をかけてニコニコした。

 それを私は「そう」と受けとったが、

 実は「ゾーゾー」と濁って聞こえたので、

 生徒仲間はみな陰ではそれを真似て、

 会話の「そう」の代わりに「ゾー」と答えたり、

 相槌(あいづち)に使ったりして喜んだ。

 日本語の外人訛りだとばかり思い込んでいたからである。

 しかし歴史の明瞭な地名・ハンブルク Hamburgでも、

 その解説は「Hamは湾」のことで「burgは町」という説明になっていて、

 ハンが匈奴の名だという語源はなぜか消えている。

 だがハンは韓でもある。

 北方騎馬民族は異様な異民族だと思っている人が多いのが、

 日本だけでなく世界の人々の現状だ。

 私たちの仕事は、まだまだ、これからなのである.

 《想像を超える国政の歴史距離の近さ
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

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