2014年2月20日木曜日
壹與と結婚した八幡は中郎将の掖邪拘(ヤジャカウ)
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録33:4頁
狭穂姫の子はホムツワケで、
オオヒルメが隼人まで連れてきた赤子の八幡である。
この時のオオヒルメが壹與であることも、
私たちはよく知っている。
壹與は伊江島の女王で種子島発音のイエッジョーへの当て字。
これを大隅語ではユイジョと発音する。
いま依子(よりこ)をユイコと発音する大隅語をみると、
狭依姫・玉依姫の「依(ユイ)」は
壹與の「壹」と同じもので「伊江」を意味する
名乗りだったことが確認できる。
これで同時に「狭依姫・玉依姫」という名は、
どちらも「種子島・伊江島の女王」という意味の名乗り、
その正確な発音は「タンユイ」姫だったことも確認できた。
サヨリでもタマヨリでもなかったのである。
これでもう一つ明確になったことは、
壹與は八幡と結婚したということである。
『記・紀』共に、玉依姫(=壹與)は
ウカヤフキアエズの尊(=八幡)と結婚したと書いているからだ。
では夫の八幡は『魏書倭人章』の誰に当たるのか?。
八幡(ヤバン)と八坂(ヤバン)は共にヤバーナへの当て字だということは、
もうよくご納得戴いているから、
これに合う人物は
「八坂王(ヤザカ・ウ)=掖邪拘(ヤジャカ・ウ)」である。
彼は卑弥呼生前の正始4年(243年)に
伊声耆(イサナギの尊)と
「答謝・詔恩」のため魏の都まで行って、
率善中郎将に任官しているので、
4年後の正始8年に13才で邪馬壹国女王になった壹與より、
さらに年少の八幡ではない。
《壹與と結婚した八幡は中郎将の掖邪拘(ヤジャカウ)》
「壹與と結婚した八幡は中郎将の掖邪拘(ヤジャカウ)」
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
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