2014年2月14日金曜日

大和を神武以来の国号とする致命的欠陥


 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:28頁

 天皇家と古墳の関係はこんなに明快なのである。

 銅鐸とウッタラについては大学講義録21の28~31頁で、

 大太良法師(だいたらぼっち)伝説と

 東北稲作との謎解きまで済ませてあるので、

 以上と総合してご覧載くと、

 これまでの立証がどんなに正確で精密なものか、

 ご納得載けると確信している。

 大和説の根拠になっている「大和」もまた

 大和説の致命的欠陥を立証している。

 この2字が我が国の国号になった時期がはるか後世だったことは、

 8世紀初め完成した『記・紀』に、

 この2字の記載がないことでもわかる。

 『日本書紀』は日本と書き

 『古事記』は倭と書いたもの無理やり「ヤマト」と読ませてきたが、

 それは明かに対立する2国が実在していたことを、

 自分で証明しているのである。

 仮に初代神武天皇の時代から奈良がヤマトと呼ばれていたのなら、

 絶対にヤマトとは読めない文字の倭や日本に、

 改める必要など全くない。

 倭や日本と書いてあるのは、

 ウワイとヒノモトという2国が実際にあったからであって、

 ヤマトへの当て字ではない。

 また当時の国名や都名はそれほど一定不変なものではない。

 倭が日本になり大和になったのは、

 同じ時期の中国の政権が魏、

 晋(シン)から五胡(こ)十六国を経て隋(ズイ)、

 唐と変わったのと同じで、

 政潅が変われば文字も発音も変わり最も新しい名で唐と呼ばれた。

 これも、大和(ヤマト)は倭や日本以後の政権の名だと、

 疑問の余地なく証言しているのである。

 《大和を神武以来の国号とする致命的欠陥
 「大和を神武以来の国号とする致命的欠陥

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

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