2014年2月16日日曜日
シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録32:30頁
『後漢書』が記録した107年に後漢を訪れた倭国王・帥升は、
漢魏音でスイサヌウ、すなわちスサノオという名乗りで、
これはシュメルの古都スサ(現在のイランのスーサ)の王を意味し、
出雲神話のスサノオの尊の八俣の大虵退治も、
何代目かのスサノオ=位宮が卑弥呼政権を倒した史実を、
英雄ギルガメシュの大蛇退治神話を模して説話化したものである。
八俣とは、八幡をヤバタ→ヤマタと訛った当て字、
大虵(ウチ)は鹿児島神宮所在地の名の
「ウチ=内=宇治」への当て字である。
ヤマタは邪馬臺に似ているが、
邪馬(ジャマ)がヤマと発音されるようになったのは8世紀以後のことで、
この神話とは全く関係なく、
邪馬臺(ジャマダイ)がヤマトだというコジツケと
全く同じで無知の産物にすぎない。
さらに邪馬臺という名詞自体、
後世の人間の錯覚が産み出した幻覚で、
現実にはこの地球上に存在したことのない幻なのだ。
「中国の山岳崇拝→種子島」
バビロンに敗北したシュメル人は
中国に移動して「周」をたて、殷帝国を倒した。
またアレクサンドロス東征の落とし子・ギリシャ人も中国に住み、
オリンパス山などを神山とするギリシャ宗教の「山」信仰で、
台湾を女神ホーライの名で蓬莱山(ホーライ)と呼ぶ
秦(シン)の徐福らの「方士」が秦代に
琉球の与那原(よなばる)=徐那伐(ヨナバル)=徐福の都(ジョナハラ)へ伝え、
それが種子島南部の「広田」弥生遺跡に、
「山」字とギリシャ文字を彫った貝製装身具を残したのである。
《シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物》
「シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物」
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