2014年2月17日月曜日
5世紀の欧州に『出雲神話』を広めた人々
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録32:31頁
ついでにいえば邪馬国はジャマ国で、
むしろドイツを指す英語のジャーマンに近い。
このほうは単なる「他人のソラ似」などではなく、
5世紀にアッチラ大王
「阿修羅王=ウッタラ=大多羅坊主(ウッタラボッチ)」を
戴いて欧州に進入し、
ハンガリーやハンブルグをつくり、
フィンランドをつくったアジアからの
遠征者・フン族とか匈奴(キョウド)とか呼ばれた人たちが、
いま日本とドイツに現存する
財津(ザイツ)(Seit)さん、
久野(Kuno)さん、
阿部(Ave)さん、
岡・大川(Oka)さん、
三浦(Muller)さん、
人等(ヒトラ)・日虎(ヒトラ)(Hittler)さん等という
多くの姓を双方に残したものと見るほかなく、
そこでもまた『出雲神話』そっくりの
ジークフートの大蛇退治伝説などを、
広く北欧に拡めているが、
ジーク(邪久(ジャク))フリート(布留人(フルヒト)=夫余人)と読めば、
屋久島王=厄神であるスサノオの尊こと
高句麗山上王・位宮にヒッタリの名乗りになる。
するとジークフリートが暗殺されたあと、
か弱い、女性の身で復讐を成し遂げた彼の妻クリームヒルトも、
クリーム(高麗国(クリーム)=大隈発音)ヒルト(日霎徒(ひると))で、
ソナカ死後に倭国大乱を勝ち抜いて、
女王に即位した卑弥呼=神功皇后にも、
また位宮が暗殺された後の壹與=神功皇后にも共にピッタリ合う。
これも笑って済ませられる問題ではない。
『出雲神話』とは、
簡単に結論の出る「日本製神話」でも、
「輸入品だ」で済む相手でもないのである。
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