2014年2月13日木曜日

皇家は3千年前から、古墳は仏教宣布団のもの


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:27頁

 これは神武天皇が現皇室の皇祖なら、

 絶対に銅鐸人ではないことを証言している。

 また仮に勝山古墳が2世紀末の前方後円墳で、

 それが卑弥呼または一族のものなら、

 卑弥呼は倭迹迹日百襲姫だと私たちも確認済みなのだから、

 例の箸墓問題を無視しても父帝・高霊天皇の古墳や、

 さかのぼって同じ皇統の租・神武天皇の陵墓もまた、

 紀元前か1世紀の古墳として奈良県下になければならない。

 ところが現実には、卑弥呼以前の天皇たちの古墳はもちろん、

 その皇族の古墳、

 少なくとも数代100を超えるはずの古墳が1つもない。

 今「1片」の木坂さえ発見できたほどの、

 国立、県立ともに最高の研究機関を2つももつ奈良の考古学が、

 大量にあるはずのその古墳を、

 なぜ?1つも発見できないでいるのか?。

 これは「古墳時代」が百年古くなってもダメで、

 大和説の致命的敗北にとどまらず、

 天皇家は古墳時代以後に誕生したとしてきた考古学の欠陥を、

 みずから立証しているのである。

 私たちは今から3000年以上前に、

 世界に貝貨幣を供給した高句麗(カリエン)王家が実在したことと、

 その子孫が卑弥呼であることを、

 充分知り尽くしている。

 だから天皇家は3世紀や4世紀に発生したのではない。

 古墳時代をつくったのはにアソカ仏教宣布団である。

 3世紀に卑弥呼とソナカ=仲哀天皇が結婚して、

 初めて天皇家と古墳が結びついたことを熟知しているのだ。

 《天皇家は3千年前から、古墳は仏教宣布団のもの
 「天皇家は3千年前から、古墳は仏教宣布団のもの

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 《参考:年表・資料》 

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