2014年8月2日土曜日

阿曇・安曇(87)日本書紀:天孫降臨(3)

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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(87)日本書紀:天孫降臨(3)

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 日本書紀:天孫降臨(3)

 出典:岩波文庫

 『日本書紀』

 巻第二 神代 下 第九段(3)

 是後、高皇産靈尊、更會諸神、選當遣於葦原中國者。 

 僉曰、磐裂磐裂、此云以簸娑窶。

 根裂神之子磐筒男・磐筒女所生之子經津經津、此云賦都。

 主神、是將佳也。 時有天石窟所住神、稜威雄走神之子甕速日神、

 甕速日神之子熯速日神、熯速日神之子武甕槌神。

 此神進曰、豈唯經津主神獨爲大夫、而吾非大夫者哉。

 其辭氣慷慨。 故以即配經津主神、令平葦原中國。

 二神、於是、降到出雲國五十田狹之小汀、則拔十握劔、倒植於地、

 踞其鋒端、而問大己貴神曰、高皇産靈尊、欲降皇孫、君臨此地。

 故先遣我二神、駈除平定。 汝意何如。 當須避不。

 時大己貴神對曰、當問我子、然後將報。

 是時、其子事代主神、遊行在於出雲國三穗三穗、此云美保。之碕。

 以釣魚爲樂。 或曰、遊鳥爲樂。 故以熊野諸手船、亦名天鴿船。

 載使者稻背脛遣之。 而致高皇産靈尊勅於事代主神、且問將報之辭。

 時事代主神、謂使者曰、今天神有此借問之勅。 

 我父宜當奉避。 吾亦不可違。 因於海中、造八重蒼柴柴、此云府璽。

 籬、蹈船枻船枻、此云浮那能倍。而避之。

 使者既還報命。



 是(こ)の後(のち)に、高皇産靈尊(たかむすびのみこと)、
 
 更(さら)に諸神(もろかみ)を會(つど)へて、

 當(まさ)に葦原中國(あしはらのなかつくに)に遣すべき者(ひと)を

 選(えら)ぶ。 

 僉(みな)曰さく、

  「磐裂(いはさく)磐裂、此をば以簸娑窶(いはさく)と云う。

   根裂神(ねさくのかみ)の子(こ)磐筒男(いはつつのを)・

   磐筒女(いははつのめ)が生(う)める子(こ)經津(ふつ)經津、

   此をば賦都(ふつ)と云ふ。

   主神(ぬしのかみ)、是(これ)佳(よ)けむ。」とまうす。

 時(とき)に、

 天石窟(あまのいはや)に住(す)む神(かみ)、

 稜威雄走神(いつのをはしりのかみ)の子(こ)

 甕速日神(みかのはやひのかみ)、

 甕速日神の子(こ)熯速日神(ひのはやひのかみ)、

 熯速日神の子()武甕槌神(たけみかづちのかみ)有(ま)す。

 此(こ)の神進(すす)みて曰(まう)さく、

  「豈(あに)唯(ただ)經津主神(ふつぬしのかみ)のみ

   大夫(ますらを)にして、

   吾(やつかれ)は大夫にあらずや」とまうす。

 其の辭(ことば)氣(いきざし)慷慨(はげ)し。 

 故(かれ)、以(も)て即ち、經津主神に配(そ)へて、

 葦原中國(あしはらのなかつくに)を平(む)けしむ。

 二(ふたはしら)の神、是(ここ)に、出雲國(いづものくに)の

 五十田狹(いたさ)之小汀(をはま)の降到(あまくだ)りて、

 則ち十握劔(とつかのつるぎを拔(ぬ)きて、

 倒(さかしま)に地(つち)に植(つきた)てて、

 其鋒端(さき)に踞(うちあぐみにゐ)て、

 大己貴神(おおあなむちのかみ)に問(と)ひて曰(のたま)はく、

  「高皇産靈尊(たかむすびのみこと)、

   皇孫(すめみま)を降(くだ)しまつりて、

   此の地(くに)君臨(きみとしたま)はむとす。

   故(かれ)、先(ま)づ我(われ)二(ふたり)の神を遣(つかは)して、

   駈除(はら)ひ平定(しず)めしむ。 

   汝(いまし)が意何如(こころいかに)。 

   避(さ)りまつらむや不()や」とのたまふ。

 時(とき)に大己貴神對(こた)へて曰(まう)さく、

  「當に我(わ)が子(こ)に問ひて、

   然(しかう)して後に報(かへりことまう)さむ」とまうす。

 是の時に、其の子事代主神(ことしろぬしのかみ)、

 遊行(ある)きて出雲國の三穗(みほ)三穗、

 此をば美保(みほ)と云ふ。の碕()に在(ま)す。

 釣魚(つり)するを以て樂(わざ)とす。 

 或(ある)いは曰(い)はく、

 遊鳥(とりのあそび)するを樂(わざ)とすといふ。 

 故、以熊野(くまの)の諸手船(もろたふね)、

 亦(また)の名は天鴿船(あまのはとふね)。

 を似て、使者(つかひ)稻背脛(いなせはぎ)を載(の)せて遣(や)りつ。

 而(しかう)して高皇産靈尊(たかむすび)の勅(みことのり)を

 事代主神に致(いた)し、

 且(かつ)は報(かへりまう)さむ辭(ことば)を問ふ。

 時に事代主神、使者に謂(かた)りて曰はく、

  「今天神(いまあまつかみ)、

   此借問(と)ひたまふ勅(みことのり)有(あ)り。

   我が父(かぞ)避(さ)り奉(たてまつ)るべし。

   吾(われ)亦、違(たが)ひまつらじ」というふ。 

 因(よ)りて海中(うみのなか)に、

 八重蒼柴(やへのあをふし)柴、此を府璽(ふし)と云ふ。

 籬(かぎ)を造(つく)りて、

 船枻(ふなのへ)船枻、此をば浮那能倍(ふなのへ)と云ふ。

 を蹈(ふ)みて避りぬ。

 使者(つかひ)、既(すで)に還(かへ)りて報(かへりこと)命(もう)す。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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