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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々
―西方絹貿易商人たちの居留地―
阿曇・安曇(108)『日本書紀』講義と解釈④
「やまと」の語源
①-d〔 (7)、(8)、(9)、(10) 〕について
天と地がわかれ土地が湿りまだじめじめしていたので、
人は山に住み行き来した。
それで足跡が多く残ったので「やまと」といった。
また古語では居住することを「止」といい、山に住むことをいった。
「やまと」とは、人々が山に住んでいたことから付いた名だと、
ここではいう。
また『釈日本紀』の「延喜開題記曰」には、
(9)の「諸国の人たちはともに山に住んだのか。
それとも大和国の人だけが山に拠ったのか」という設問があるが、
師の説では大和国だけである、という答えになっている。
山に住んだのは大和国の人たちだけだったから、
この地だけが大和と呼ばれた、
ということになるが、それでは、
天と地がわかれ土地が湿りじめじめしていたのは
大和だけだったということになってしまう。
何とも自分勝手で切ない説である。
「やまと」の語源にはこのほかにも、
「山の入口(山門)」説などもあるが、山に住んだから、
山の入口にあったからなどという理由であれば、
「やまと」は日本全国無数に存在する。
この「やまと」語源説は子供だましともいえない稚拙なものに映る。
この時代にはすでに、「倭」をなぜ「やまと」と読むのかも、
また「やまと」そのものの語源も
わからなくなっていたということになるが、
もしかしたら、倭奴国の名の由来も含めて、
わざわざ子供だましのような話しをつくり、
「倭」と「やまと」の歴史を
わからなくさせてしまおうという狙いがあったのかもしれない。
面国とは
②〔 ③、(2)、(5) 〕について
「面国」とは「倭面国」のことであるが、
その国名は各史書によって異なっている。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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