2014年8月16日土曜日

阿曇・安曇(108)『日本書紀』講義と解釈④

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々

    ―西方絹貿易商人たちの居留地―

 阿曇・安曇(108)『日本書紀』講義と解釈④


 「やまと」の語源

  ①-d〔 (7)、(8)、(9)、(10) 〕について

 天と地がわかれ土地が湿りまだじめじめしていたので、

 人は山に住み行き来した。

 それで足跡が多く残ったので「やまと」といった。

 また古語では居住することを「止」といい、山に住むことをいった。

 「やまと」とは、人々が山に住んでいたことから付いた名だと、

 ここではいう。

 また『釈日本紀』の「延喜開題記曰」には、

 (9)の「諸国の人たちはともに山に住んだのか。

 それとも大和国の人だけが山に拠ったのか」という設問があるが、

 師の説では大和国だけである、という答えになっている。

 山に住んだのは大和国の人たちだけだったから、

 この地だけが大和と呼ばれた、

 ということになるが、それでは、

 天と地がわかれ土地が湿りじめじめしていたのは

 大和だけだったということになってしまう。

 何とも自分勝手で切ない説である。

 「やまと」の語源にはこのほかにも、

 「山の入口(山門)」説などもあるが、山に住んだから、

 山の入口にあったからなどという理由であれば、

 「やまと」は日本全国無数に存在する。

 この「やまと」語源説は子供だましともいえない稚拙なものに映る。

 この時代にはすでに、「倭」をなぜ「やまと」と読むのかも、

 また「やまと」そのものの語源も

 わからなくなっていたということになるが、

 もしかしたら、倭奴国の名の由来も含めて、

 わざわざ子供だましのような話しをつくり、

 「倭」と「やまと」の歴史を

 わからなくさせてしまおうという狙いがあったのかもしれない。

 面国とは

  ②〔 ③、(2)、(5) 〕について

 「面国」とは「倭面国」のことであるが、

 その国名は各史書によって異なっている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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