2014年8月30日土曜日

阿曇・安曇(121)『魏書倭人章』登場者の系譜

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 阿曇・安曇(121)『魏書倭人章』登場者の系譜

  出典:加治木義博:言語復原史学会
     『魏志倭人章』詳解1
     垂仁天皇の邪馬壹国
     99~100頁

 断定できる「実在」

 これで第1章は終わるが読者の中には

 『魏書倭人章』と『記・紀』とが一致したというだけで

 『記・紀』の登場人物が実在だといいきれるか?と、

 まだ疑問に思う方がありそうである。

 『記・紀』が『魏書倭人章』をもとに作られたものなら

 一致は当然で、

 何も「実在」の証拠にはならない。

 という気がするかも知れない。

 だが考えてみると、

 たとえ『記・紀』が
 
 『魏書倭人章』を写したものであったとしても、

 『魏書倭人章』の方は、

 日本国民をだまそうという目的で作られた

 「ニセの歴史」などではなく、

 帯方郡使が外国人の眼で

 「客観的に見聞きした事実」の報告書を、

 陳寿が編集しただけに過ぎない。

 郡使は何もウソを書く必要も理由もないから、

 そこに登場する人物は全て、実在者ばかりである。

 それをもとに『記・紀』が書かれたとしても、

 「事実の記録による実在者の歴史」であることには変りはない。

 しかも『記・紀』は『魏書倭人章』をもとに

 書かれたものではない。

 なぜなら『記・紀』は『魏書倭人章』の人物が、

 だれだったか知らない。
 
 ことに『日本書紀』は<卑弥呼>を<神功皇后>だと考えて、

 <卑弥呼>が<難升米>を魏へ派遣したことなどを、

 小文字ではあるが何年にもわたって書き添えている。

 『日本書紀』は天皇たちの治世年数を書いているから、

 その遣使の年から数えると、

 本当の<卑弥呼>である<倭迹迹日百襲姫>は、

 それから320年も前に死んだことになっている。

 これではとても『魏書倭人章』の焼き直しだとはいえない。

 また卑弥呼は女王と書かれ、

 男弟は政治を補佐しているに過ぎないのに、

 その男弟を崇神天皇、

 卑弥呼を単なる天皇の姑と逆に書いている。

 かと思えば

 『魏書倭人章』では分らない卑弥呼の死に方などを

 『記・紀』は詳しく知っている。

 『記・紀』を詳細に分析してみると

 『魏書倭人章』とは関係なく、

 どちらも独立して書かれていることが立証される。
 
 だから事実の記録に一致する

 『記・紀』の登場者は「実在だ」と断定できるのである。

 『魏書倭人章』登場者の系譜


 「『魏書倭人章』登場者の系譜」(主に『日本書紀』により『古事記』で補う)

                 孝霊天皇
   ┌───┬─────┬────┻━━━┯━━━━━━━┓
  稚武彦 彦狭島  彦五十狭芹彦  倭迹迹日百襲姫   孝元天皇
                     (男 弟)    (卑弥呼)
             ┌──────┬────┬────┸─────┐
            武埴安彦   彦太忍信 倭迹迹姫 開化天皇   大彦
          (狗右制卑狗)                         ┃          │
           ┏━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┛    武渟川別
          崇神天皇     彦座         彦湯隅    (難升米)
          (男 王)                │
           ┃                 丹波道主
           ┃                  │
     ┌──┬───┼──┐       ┌────┬──┴─┐
      ∧  ∧  ∧∧  ∧       ∧     ∧   ∧
     八掖 彦伊 垂伊卑 豊都      沼奴  歌弟薊弥  日弥
     坂邪 五声 仁支弥 城市      羽佳  凝比瓊馬  葉馬
     入狗 十耆 天馬弓 入牛      田鞮  比売入獲  酢升
     彦∨ 狭∨ 皇∨呼 彦利      入∨  売 媛支  媛∨
        茅    素  ∨      日      ∨     │  
            ┃ ∨         売          │
          ┗━━━━━━━━┳────────────┘
                   ┃
                       ┌──────┻━━━━┓
           倭姫命                 景行天皇
          (壹  與)       (戴斯烏越)

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等



 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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