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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々
―西方絹貿易商人たちの居留地―
阿曇・安曇(110)『日本書紀』講義と解釈⑥
出典:『日本書紀』講義と解釈
倭面国については拙著『縄文から「やまと」へ』で詳述したので、
ここでは多くは述べないが、これらの史書以外の史書を参考にすれば、
委面、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国はすべて倭国
(「やまとのくに)ではない)のことであることが容易にわかる。
この中で倭面土国は、無理やり「やまとのくに」と
読めば読めるため(かなり苦しいが)、
邪馬台国畿内説の人たちは、
委面、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国を
ヤマトと読み畿内ヤマトに当てている。
③(2)には、「倭」の訓について、漢書に晋灼と如淳の注釈があるが、
この字のはっきりした訓はないとある。
漢書の晋灼と如淳の注釈とは
「委面」についてのことではないかと思われるが、
このことは、中国には「倭」「委面」を「やまと」と訓む読み方は
存在してなかったことを示している。
つまり中国が書く
「倭、委面、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国」は
ヤマトではない、
ということを物語っているといえるのである。
しかしそれでも、
『私記』の講師や邪馬台国畿内説の人たちは、
これを「やまと」と読みたがる(中国史書における倭に限る)。
ただ『私記』の講師は、倭はヤマトのことだと教えていても、
『漢書』注には倭を「やまと」と訓む読み方は見つからない、
と事実をもって答えていて正直である。
それに対し現代の研究者は③(2)の記録を無視したまま、
中国史書における「倭」も「やまと」と読んでいる。
不誠実であるとともに、これでは史料が何のためにあるのかわからない。
面国は倭面国であり倭国のことであるが、
『漢書』地理志顔師古注の
「如墨委面」から、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国には
「委面の国」という意味があるとみてよい。
「委面」とは「入墨をした顔」のことであるから、
倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国も
「顔に入墨をした人たちの国」を意味する。
つまり「倭面土」とは、「ヤマト」を
音で表現したものなどでは決してないということになる。
面国は倭国のことであるが、
それは「わこく」であり
「やまとのくに」ではなく、したがって日本でもないのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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